安物買いの「命」失い・・・

福山市のホテル火事・・・10人程の宿泊客で・・・7人の死亡。まだ、数人は死亡が出るのかも知れない・・・最後まで、宿泊客の救助を、周りに呼び掛けた女性従業員も、全身火傷を負っていての重傷である・・・

しかし、行政・消防が、法の規制に守られて、悠々と営業を続ける、厚顔無恥な営業者に対して全くの無力であることが露呈した火災事故であったと、我々は認識すべきであろう。地域の人の話では、もともと雀荘としての建物だったと言う・・・従って、構造が、人を泊める様にはなっていなかったはず・・・その建物の外郭はそのままに、その外郭の内側にホテルの構造を作った・・・つまり、雀荘と言う「塀」の中に、外郭のないホテルを作った様なものである。窓が全部ベニアで塞がれていたと言うが、外見で窓ではあっても、ホテル本来の窓ではない・・・そんなホテルが、建築基準法に照らして合法なのか・・・私は、疑う。場所は忘れたが、ゲームの店で火災が発生、数人が焼死した建物が、何度も、地元の消防署の検査をclearしていたにも関わらず、火災の後では色々と不備が、あるいは違法状態が発見された・・・つまり、消防署署員が、日常的に遊んでいたgame centerであり、其処には、甘い検査の実態があり、故意に違法状態を見のがしていたのでは・・・と、mass communicationに報じられていたことを思い出す。

今回事故は、それを大きく上回る、行政の姿勢、「法」の在り方、適用の在り方、「法の権力」の施行の思想を問われそうである。
何故・・・この様なホテルが営業出来るのか・・・止まった客も軽率であり、自らが利用することで、このホテルの存続に手を貸していることに、幾ばくかの責任も感じるべきだろう。
中には、長期出張の利用者もいると言う。会社の「出張旅費」の支給基準が不適格なのか、あるいは、個人の欲に駆られた選択なのか・・・ならば、領収書をキチンと提出させて、その実態を把握するべきではなかったか・・・当人が火事の犠牲者になるだけではなく、重要な書類の消失にもなるし、情報の消失にもなるだろう・・・それほどの価値のない社員だとしたら、それはそれで、非人道的な、社員処遇と言わねばならないだろう。

更に、消防活動について言えば、福山市と言う、それほど大きな都市でもない街中の火事である。火事の通報を受けて、何を準備し、如何なる消化活動をするかは、そのホテルの構造、法の遵守の日常から、その方策を決めておくべきではないか。現行「法」の適用から、営業停止が困難なら、火事発生と同時に、大がかりに「破戒」を優先させ、その中での人命の救助についてのsimulationもして行くべきだろう。そもそも、建築当時の規制に合格していれば、未来永劫、建て替えになるまで「合法」と言う法の建前がおかしい。雀荘をホテルに改造した時点で、新たな建築基準、防火基準が適用されるべきだと、私は思う。
また、このホテル・・・前身・・・半ば今でも・・・ラブホテルである。だとすれば、厨房は小規模、普通の家庭の台所程度のものだった筈である。ラブホテルには、宿泊客は少ないし、このホテルに入る前に食事は済ませている前提で営業がされていたはずであり、況や、食事は、外からの取り寄せが前提であろう。そこが、長期の宿泊客を泊めるようになり、営業の方針として、食事も含んだホテル代として時、厨房は可なり規模の拡大をしているはずである。その時・・・防火環境が整っていたのか、きちんとした「防火責任者」が置かれていたのか・・・殆ど「体(てい)」を為していなかったのだろう。非常階段がない、火災報知機がない、非難訓練もない・・・「ないないずくし」のホテルである。

火事の火元は厨房であろう。ならば、せめて、終業時の厨房の点検のmanualが存在したのか、どの様に、火もとが管理されていたのか・・・全国の、ラブホテル、あるいは、転用ホテルの査察を行うべきだろう。況や、建築等の基準法に適合なら、未来永劫に合格と言う思想も廃棄されるべきであり、環境、時勢に追いつかないホテルは、早々に廃業させるべきだと、私は考える。「医療」の安値競争が危険を孕む様に、ホテルの安値競争もまた、監視の目を緩めてはならない・・・何を置いても、「現在」の安全が前提で存続すべきなのである。
それでも安い方が良い・・・と言う客が多いとすれば、そのホテルには「死」と言うステッカーを義務付けて、客の良識を喚起すべきだろう。

ラブホテル・・・高度経済成長、バブルの置き土産であると、私は理解する。もう時代遅れ、取り残された分野なのである。一時、かつての「花街」がホテル、宿屋に転業するcaseが多く、私も一度、土地不案内の土地で、観光地らしいものもない「自称観光地」の観光案内所で紹介された、「ホテル」に宿泊したことがある・・・入り口で、「靴」を預かられ、通された部屋は三畳・・・窓はあったが、頑丈な格子がはめられていた・・・夕食は外で摂らなければならず、その都度、靴を出してもらい、ホテルに帰れば預けねばならない・・・何とも不愉快だったが・・・翌日、土地の人に、「この街で宿泊は出来ない・・・」ことを、ご注意申しあげておくべきでしたと・・・平身低頭、謝罪されたことを思い出す。
今回の火事で、その時のことを想起する。確かに宿泊料金は安かった・・・何となく、出張旅費に余裕が生れて嬉しかった自分が記憶にある。賤しい自分が恥ずかしい・・・。

数年前に、岡山で宿泊することになって、Internetで予約した。外見と、その内容から安心と思って予約・宿泊したが、一先ず「ホテル」としての条件は整えていたが、Internetの印象とは随分とかけ離れたものだった。随分以前に訪れた時の印象で、宿探しをしたのがいけなかったのだと、その時の経験で思ったものである。競争の激しいこの世界・・・新しいホテル・旅館に対抗する為には、相当な覚悟も必要だろう・・・しかし、Internetの印象が、実体と異なる様な情報を出してはならないのではないか・・・己の命である。
己の命を「安く」預けることは、命のを安くすることであり、危険からの防御を怠ることである。犠牲者を「他山の石」としてこそ、死者も浮かばれるというものであろう。