福岡市・市職員は”幼児”か?

退庁後は、酒も自由に飲めない・・・「家庭の外で飲んではいけない・・・」との、市長からのお達し。それを黙って聴いている姿勢を私は軽蔑したい。
まず、家で酒を飲むことができない人間が、外で(家庭外)で飲むのである。中には、私の様に、女房を含む家族の前で酒を飲むことは、「あらぬ・・・」ことを口にして家庭の中に嵐を呼び込みかねない・・・家庭にあっては、「原発廃止論者」であり、職場では、「原発推進論者」であるように・・・ので、原則として、家では「酒;アルコール」を口にしない男も多い・・・稀に、business-womanが無きにしもあらず・・・・だが。これは、policyとしての、家庭内禁酒のcaseである。福岡市職員の中に、かくの如き職員がいたら、それは、悲劇ではある。高島市長・・・私は、彼の経歴を知らないのだが、典型的な家庭人なのだろう・・・私の先輩にも、毎晩の夕食後に、妻と2時間以上も、議論・討論をするかたがいた。勿論、晩酌の盃を交わしながら・・・当人は、「俺を倣え・・・」と主張しているつもりだろうが、毎晩、毎晩、食卓で酒を飲む(晩酌)を飲む、夫や父親の相手をしなければならない家族の苦痛や・・・私は、悲劇の発祥であろうと、危惧する。市長の「思い込み」の怖さである。

恐らく、市職員の、communicationには、多大な弊害になるだろう。企業でも、役所でも、私は、男(男性的女性)同志が、気楽に、フランクに語り合える雰囲気があるかと言えば・・・それはない。これは洋の東西を問わない事実であるだろう。人間社会・・・階級社会であり、差別社会であり・・・group-ismを廃することは不可能である。Group ismとは、group同志のことではない。利水を思想の根底に置く「農耕民族」であってみれば、「本音」を主張する事には、それなりの技術を要する・・・利水を必要とせず、羊飼い的な社会のethosと混同してはならないのである、私は考える。自らが、自らのgroupの中で孤立する、発言がし辛い状況になった時、その突破口として、他のgroupへの打診が必要になる・・・こうして、主張の調整が計られ、中庸に近づく努力が実るのである・・・そんな席が、ウーロン茶で可能か・・・お互いに後ろめたい気持ちを押さえて、ある意味勇気を振り絞って対話をしているのだから、空元気の為にも「酒」は欠かせない・・・そんな職員の気持ちを高島市長は、お分かりではない・・・悲しい事である。

まずもって、酒を飲んだから事故を起こした・・・暴力を振った、飲酒運転をした・・・と、言う発想が、少々軽率だろう。素人や、浅はかな正義感には分かりやすくても、多少でも思考能力を持っている人間なら「変だ!」と思わねばならない。短絡思考・・・正義の様で、その裏に潜む、自己中心的な浅慮に気付かないだけのことなのである。

「飲酒」と事故はとは、厳密に区別・分別して考えられるべきなのである。酒を飲んだから事故を起こしたのではない。何がしかの「暴力的な行動」に急かれて「酒」を飲んでいるのである。実は、飲んでいる間に、己の感情を制御出来れば、事故は生じない・・・その感情controlへの能力の低さ、欠如は、家で酒を飲めば、その矛先を必ず「家族」に向ける・・・家庭の悲劇を、高島市長は促進しようとしているのである。
今、福岡市は、震災地の「瓦礫受け入れ」の是非で、市長と議会との対立が報道されている。庁内には、その対立もあるのではないか・・・決して悪いことではない。しかし、その庁内で、賛成派も反対派も、「本音」を丸出しに出来ないのは、この半島で、農耕民族のethosを持つ人間の辛さである。盃を傾けながら、お互いの心の内を少しづつ見せあいながら、翌日の、庁内議論に生かす努力が行われているのであろう。家族が、そんなことを識る由もない・・・だから、「暖簾」なのである。

私自身は、飲酒運転、飲酒に絡む暴力・・・は、北部九州の「風土病」だろうと考えるので、都市の環境を変え、住む人々の理念、ethosが変わらなければ、状況は改善されないだろうし、「人」が変われば「街」も変わるだろう・・・と、比較的楽観的なのだが、「正義感」に溢れた人々には「異」に聞こえるだろう。

しかし、事故の結果への処罰は、峻厳・厳罰主義で挑むべきで、現行処罰のレベルは、余りにも緩すぎる・・・特に「経済事犯」には、法は存在しても、無きがごとし・・・見かけであろうとも、平和に暮らす市民への加害は、身体的であろうとも、精神的、経済的であろうとも、死刑を含む厳罰を持って臨むべきだと考えている一人である。少なくとも、暴力、交通事故、そして経済事犯には、「執行猶予」は排すべきであろう・・・と、考える。

「酒」を飲むまでは個人の自由である・・・法で禁止してはならない。しかし、その酒が原因で惹起した事件・事故については、その市民生活への影響に応じて、基本的には、解雇を含む厳罰が与えられるべきである。飲酒運転、乱暴運転、暴力事件もさることながら、地位・立場を利用した経済事犯・・・買収、収賄、機密漏洩、個人情報の乱用・・・等々・・・解雇を基本として、積極的に刑事訴追を行うべきであろう。
綱紀の緩みは、ルールの厳格化で防げるものではない。組織の中から「毒虫」を排除することで、締めることができるのである。如何なる人材であろうとも、いや人材で在るが故に、その腐食の影響は大きい。一旦組織から排除することを躊躇してはならない・・・と、私は考える。


高島市長の今回の処置・・・厳しい様で、反面に当る光は、緩やかであり、温情的であり、市民の手前を憚った様に見えて、職員の「罪」を庇うものでしかない。巷の、飲食店だけを虐める、一方的な、かつ独断的な、浅知恵でしかない・・・と、私は思う。恐らく、効果はないだろう。もう一度、考え直して欲しいものである。