新潟トンネル事故・・・・「報道屋」・・・空涙の訓練は終わったか・・・・

新潟県南魚沼市のトンネル事故・・・ニュースでは、この一帯、何処を掘っても天然ガスが吹く出るのだとか・・・工事関係者が「無知」だったとは思いたくないが、「経験則」という魔物が、今回事故を誘因したのだろうと・・・中規模炭坑の集まる街で少年時代を過した私は思う。三井三池の様な、良質な(例えば瀝青炭)石炭を効率よく採炭・・・切り羽が高い・・・幅が広い・・・可能な炭坑では、「ガス爆発」が起きやすい・・・いや、切羽の炭層から「ガス」が噴き出す、また、良質の石炭の炭塵は、発火しやすい・・・何らかの理由で着火すれば、大爆発になる。片や、質の低い・・・層になった不純物を含む・・・石炭には、その危険は少ないが、収益が少ないだけに、坑内の安全対策が疎かにされ、また、地上から浅い所には、古くは江戸時代の坑道が走っていたり、また、盗掘的な坑道があったりする。その坑道には、概ね「地下水」がたまっているので、その古・坑道に鶴嘴を打ち込めば、「水」が迸る。また、坑道は、木材で支えられているので、その工作の木屑が堆積し、それが発火の原因になり、時に、坑道を支える木組みが崩れ、落盤を惹起する・・・トンネルとは、地上にあっても地下にあっても、時に人智を超えた現象を見せるものである。

「トンネル屋」と言われる方々は、子供が生れた時に、その顔と対面することがあっても、次に対面できるのは、運が良くて「結婚式」だと、言われたもの・・・そんな話を、新幹線の中で、隣り席の方の話に聴いたことがある。つまり、経験者、あるいは、優秀な「トンネル屋」さんは数が少ないということを言うらしいのだが、それだけに、経験・技術の伝承が難しいのかもしれない・・・況や、最近は、大きな機械も導入されるので、掘削は楽になっているのであろうが、一本のトンネルに携わる方々も少なく、「トンネル屋」同志の、技術の伝承を可能にする「対話」のchanceも失われているのではないか。現場で、manual本を読むことも叶わないであろうから・・・私は、「原発」にも同様の事柄を感じるのだが・・・それは他日に・・・・。

何故、tunnelに入る前に、空気の入れ替えを行わなかったのか・・・当事者たちも、悔やんでも悔やみ切れないものがあるだろう。事故とは、得てして、その様に惹起するものである。原発も、住民の騒ぎはあっても、bentが可能にしておけば、少なくとも「水素爆発」は防止できたのではなかったか・・・今回も、長期間、工事が止まっていたtunnelに入る時の作業手順・・・存在したのだと、私は信じるが・・・が遵守されていれば、十分に防ぎ得たのだろう・・・更に、素人考えで言えば、tunnelが一定距離掘り進んだ時に、上部に「ガス抜き」の通気口を開けておく慎重さも必要だったろうし、あるいは、ガス抜きのhorseを設定する方法もあったのではないか・・・等と考えてしまう。Cost的に・・・と、考えなければならない問題でもあるのだろうが、代償が「人命」だと言う事は、発注側も、考えるべきだろう。
溜まったガス・・・これへの対応の難しさ・・・毎日TVの前で、その進行を見守るが、余程の奇蹟がないと、生還は難しかな・・・そんな気持ちに襲われる。

宇宙stationの作業、あるいは飛行・・・精密な「simulation-system」があって、あれだけの安全が保たれるのである・・・が、万全とは言い難いのは言うまでもない。戦闘機、旅客機もまたしかり。新幹線も、運転手育成のsimulation-systemが、その威力を発揮する。しかし、私は、鉄やの一人として、「rail」の安全性は如何に保証されているのか・・・懸念が残る。Speedが上がれば、車体の構造が変われば、それに応じたrailが存在してしかるべきである。しかし、全国のrailを一斉に交換することは不可能・・・ならば、既存のrailとの共生が、何処かで確認されているのであろう・・・と、想像もし、信頼もする。しかし、原子力発電systemの運転manualに如何なるものが準備されているのか、それに基づく教育が如何に行われているのか。加えて、故障・事故へのsimulation-systemは・・・事故対応の訓練が殆ど行われていないらしいことは、今回事故への対応を見ていても確証できる。「安全神話」は、その点から検証されなければならないのであるが、その点を追究したmediaを私は知らない。退役官僚が、現役官僚。政府を追及する言説の中にも、それに触れたものはない・・・恐らく「天井に唾」となるからだろう。椅子の座り心地が悪くて引退したのなら、本来「黙って」いるのが、男の本領、人生の本道であろうかと、私は考える。せめて、現役の背中を押すのが、役立たずを自覚して職を退いた官僚の、余世の在り方ではないかと、私は思う。

東京スカイツリー・・・如何なる事故対応のmanualが、あるいはsimulation-systemが準備されてるのか、阿呆なmedia、マスコミは全く報じない・・・もし事故がおこれば、それは、視聴率への寄与であり、新聞、週刊誌の売上増として歓迎するものなのであろう。弔事を報じる、乾いた涙のその裏に、次の期のボーナスを計算しているreporterの顔が隠されている。
今回、救出が遅れる、その時間の中で、、工事業者を責め、政府を責め、官僚を責める・・・そんな道具を磨いていることだろう・・・恐らく、悲しい結果を鵬度する「そら涙」に訓練も練習も必要はないだろう・・・日頃の残酷な「心」があれば十分なのだから・・・