津久見市(大分)の瓦礫;テスト焼却へ・・・・!

津久見市は「セメント」の街である。3白と言われた頃がある。私が就職試験(高卒)を受ける頃までは、高校生の憧れの企業だったと記憶する。私も、小野田セメントへ・・・と、遠い親戚を頼って、山口県の小野田市に出掛けたことがある・・・昭和29年は、不況の「底」だったのだが、それでも、当時の八幡市にあった小野田セメント工場で、「袋詰め」の現場を見学した時に、「俺には無理だな・・・」と、一先ず断念・・・実はそんな贅沢を言える身分ではなかったのだが・・・小野田工場なら綺麗な現場だよ・・・と、聞きつけて・・・と、言うのが経緯である。結局、この努力(?)は実らなかった。
社会人になって、「祖母・傾」に出掛ける車窓に、白い瓦屋根の街並みを眺めながら・・・実はセメントで白くなっていた・・・勿論、今は、こんな風景はないだろう・・・鉄鋼に働く様になった我が身に「セメント」で働く縁の薄さを思ったものである。何となく、親近感のある街なのである。

北九州の「瓦礫焼却テスト・調査」は、ゴミ焼却炉で行われ、セメントの「炉」が使われることがなかった・・・私は、鉄鋼の「溶鉱炉」という手段もあるのでは・・・と、思っていたのだが。
津久見市・市長の談話として、震災瓦礫処理への反発が新聞に伝えられるが、私(市長自身)が、巷で聴き込みを行った結果、賛成・・・震災地へのsympathy、協力に賛成の声の方が多い・・・が多く、実行の方向で考えたい・・・これは、大分県知事への報告の内容である。津久見市は、セメント・ロータリーキルンを使って行うと・・・報じられている。この方法だと、殆ど灰がでないのではないだろうか・・・素人の考えだが・・・。

北九州でも、巷では、震災地へのsympathyから、可能な限りの協力を惜しまない市民の声の方が大きいのだろうと、私は、思う。先日のブログにも書いた通り、北九州には、今回の東日本地域に、親戚・縁者を持つ方は多い筈である。また、東北大学出身の方・・・特に重役・・・は、優秀な技術者として活躍されたかたが多い・・・と、私の周りに活躍されていた、あの方、この方・・・懐かしいお顔は多い。決して、震災被災地が無縁の地域ではないのである。
TVのカメラを意識して、一見激しい反対運動の行動を見せる、卑しき人々は、その様な、人間の素養として持つべき心情に無縁の人々でもあるのだろう。厳しい制限の下に持ち込まれる瓦礫である・・・医療、あるいは日常で我々が被ばくする値よりも可なり低い基準が設定されていると言う・・・その行政のreportを信頼出来なければ、己で、その検証を行うか、自らが北九州を離れるか・・・その覚悟が求められるのではないか。
「反対」・・・特に体制への、安全な「反対」行動は、一面で「正義」を偽装する。つまり、「反対」の為の「反対」であり、共に負うべき「負」へのsympathyを欠くものである。文明を背負い、文明の中に生きていて、絶対安全な環境は存在しない・・・各人が、自らの判断で行動し、考えることが、存在への安全であり、安心である。言わば、泥んこ道を共に歩いているに等しい。連れが転べば、連れが手を引く・・・それが信じられるから、共に在ることが可能なのである。そして、互いの知識、知恵、経験を共有することで、危険を回避することも可能なのである。それでも、災害は、人的・自然を含めて避け得ない・・・その時に、10年の寿命を9年に縮めて「他」を助ける・・・あるいは、危険回避に協力する・・・それが、今回震災の瓦礫処理であろう。

梅雨・そして夏・・・この瓦礫に発生する「蝿」の量は、天文学的数値を大きく上回るものになるだろう。かつて、炭坑の近くに住んでいて、我家の近くの、陥落池の埋め立てを兼ねて、行政が、家庭ごみを、大量に捨て始めた時・・・家の中に、数十本のリボンを吊るし、蝿獲り器を設置し、周辺の消毒を毎日しても、追いつかない毎日に「音」を挙げた経験がある。「火を入れる・・・」と、周辺住民の決意で、行政が撤退、事なきを得たが・・・行政も、未経験だったこともあって、行政・住民の両者が、その体験を確認しあったことを、思い出す。
今年の、梅雨・夏は、被災地は大変なことになる。毎日、数回は、上空から、瓦礫の消毒がなされなければ、病気感染が猖獗を極めるだろう。住民は、瓦礫の発する悪臭と、その悪臭の中で発生する「蝿」で、津波に次ぐ、第二次の「伝染病」の被害をまともに受けることになるだろう。勿論、死者も、あるいは厖大な数になるかもしれない。現代の医療で防ぎ止め得るのか・・・その対策の様子を伺い知ることがないのが、私は不安である。津波を逃れた住民への、災害・第2弾がせまっているのではないかと・・・
北九州も、津久見市も・・・既に遅すぎる時間帯に入っているのかも知れない・・・他の、非協力的な都市に於いてや・・・である。あるいは、地震津波の被害者・死者の数を凌駕する可能性すらある・・・私は危惧する一人である。
あの瓦礫の山から、蝿が、病原菌が、「黄砂」の如くに、人々の頭上に浴びせられるなら、それは、この地域の数十パーセントの人々が命を失うことになりかねない。我々は、ヨーロッパに猖獗を極めた「ペスト」の様な歴史を知らない・・・私は、原因が多様で、現代医学では手の打ちようのない「病」を経験する鳥羽口にいるのかも知れないのである。そして、それが、東北から関東へ、関東から関西へ、そして九州へ・・・と、その「爪」を伸ばすかも知れない事を・・・。震災瓦礫・・・他人の庭のゴミではない。其処から発生する「病」「蝿」は、人を選ばない、地域を選ばない・・・寧ろ、福島原発の「放射能」よりも、怖いと考えるべきだろう。また、蝿が、大量に発生し、感染症的病原菌が大量に発生した瓦礫が、今後移動可能か・・・今なら可能でも・・・しかし、被災地に放置して、感染症を発生させることは、その感染症病原菌の、列島全土への拡散も危惧される。
手を打つなら、今の内なのである・・・・