「boy‘s Be ambitious」

飛び級・・・と、いうこと。

高校過程を2年で卒業・・・curriculumを無視した飛び級だとしたら、当人の努力には相当な負担が強いられる・・・勿論、自主的な努力ならば、問題とするに当らない。しかし、そこに、親の虚栄心が加わると、話は別だろう。若い人の自殺を増やす要因にもなりかねない。
かつての、高等学校の様に、4年生でほぼ必要なcurriculumを履修して、大学に進学するか、もう一年、高校生活を楽しむかの選択をすることとは、少々、話が違ってくるのではないだろうか。また、TVの報道等に知る「大学生」のlevel、また、私自身の体験に基づく、大企業の、大学新卒の社員などのlevelを考えれば、現在のcurriculumのままで、高校2年で終了と云うのは、余り意味がない、どころか、余りにも残酷ではないかと思う・・・強くは反対しないが・・・。
それよりも、現在の中学生の履修期間を4〜5年に伸ばし、大学生として必要なcurriculumを完了させて、高校2年で大学受験をするか、3年で受験をするかの選択制にするのが良いのではないだろうか。そして、受け入れ側の大学も、この高校2年、3年の間に身に付けた「教養」を、合否の判定とする・・・さすれば、工学系であっても、ノーベル賞受賞学者に等しい、高い教養をもつ人格を育てるに、大学が貢献できると思うからである。
私は、昭和30年代の学卒(高卒の私と同年入社)と、昭和60年代の学卒には、月とスッポン以上の格差を感じていた。勿論、その後の修養で個々人の人格も教養も変わって行くが、どうにも変わらないのもいる・・・私には、「変わらない・・・自然のままに」人物が可愛そうだった。そもそも、己を低レベルから出発させる人間は、案外に上昇指向を何処かで、身につける・・・勿論、無関係の人物も多い・・・その様な人物との出会いは、今に思えば、私に大きな影響を残してくれた人として、感謝を欠かすことはない。しかし、「大學卒」というレッテルに、最初から、上昇思考を去勢されたのでは、その後の人生は、余りにも惨めである。
しかし、「大學」と言う肩書きがなかったら、其処に居てはならない・・・そんな場所に座らされるのは悲劇である・・・当人が気が付かないだけで。私は、高校2年終了の飛び級に、その様な欺瞞性を見てしまう。つまり、要領よく飛び級で卒業し、泣かず飛ばずの大学生生活で、己の欺瞞性に磨きを掛けて、その欺瞞性が、社会人としての己からはげ落ちる悲劇である。親の虚栄心を満足させた果ての悲劇だと考えることも出来る。
吉本隆明は,大学教授を退官した人を、高額な給料で、中学校の教師として採用する・・・ことを提案している。つまり、中学生の年齢で、高邁な碩学の謦咳に触れることの重要性を説いているのであるが、私自身を思っても、「就職」という「ぼた餅」が視野に入るようになっては、「勉学」は、一つの、生活の手段であり、芽生え始めた虚栄心を満たす道具にすぎなくなっている・・・。まだ、先の景色が定かでない時期に、碩学の謦咳に触れれば、多少「青臭い」理想であったり、夢であったりするかもしれないが、「学ぶ」ことへのacceleratorとして有効であるのではないかと思うからである。勿論、低級な学者であってはならない。むしろ、大学教官としての忸怩たる思いへの仇討の様な気持ちで勤めてくれる人物でなければならない。
その成果を、有名大学への進学率で計る「愚」は犯してはならないが、高校生として、2年、3年のmoratoriumがあれば、その心配も希釈されるのではないだろうか・・・まずもって、子供自身が、己を識ることが可能になるのだろう・・・と、私は思う。
頭の良い奴は、何もしなくても、頭が良いものである。最大の悲劇は、悪い頭に鞭打って、最も大事にすべき「もの」を失わしめることである。中学生で、碩学の高邁な話を聴く・・・勿論、碩学の力も試されるのだが、全く理解されない話しか出来なくては、「高邁」とはほど遠い・・・碩学が、個人的に期待する子供には、特別な配慮も個人的に可能だろう・・・「boy‘s Be ambitious」等いう言葉も、この世代の子供(中学生)なればこそ、素直に、心に響くのであり、終生、木魂として聞こえるのだと、私は思う。
適当に教えて、テストして、採点して・・・点数を比べて優劣を決めて・・・それでは御都合主義の人間しか育たないだろう。
「boy‘s Be ambitious」は、未開の邦・日本に己の情熱を傾けようとした教育者の残したものであり、英語で執筆され、英語の読本としてアメリカ大統領を感激させた「武士道」は、そんな教師の謦咳に触れた人物に依るものであった。それが、遅れて列強の仲間入りをした日本をして、その後を定めたのである。日本の中学生に、「boy‘s Be ambitious」なるphraseを取り戻してやって欲しい。