「若者よ・・・当面は、親の脛を齧り・・・

大航海時代に始まった「inflation」が、今、「deflation」に転じているのだそうだ。経済成長著しいと言われる中国の経済も、現在がほぼpeak、個人当りのGDPも、現在日本の半分程度で止まるだろう・・・経済評論家・水野和夫氏の分析である。随分以前に、BSフジ・プライムニュースで、詳しい話を拝聴したのだが・・・印象に残った「一言」は、4世紀に亘って、経済を成長させてきた先進諸国が、そのpaceを落とさない限り、貧困国は、益々貧困化を促進するだけだ・・・という主旨だった。
つまり、世界に資源が、豊富に存在すればこそ・・・開発されずに存在していたのだから・・・現・先進国の経済発展が可能だったのである。しかるに、先進国の経済発展は、その周辺に波及する。それを拒否したり、自ら努力しない国家、民族を除けば、必ず、その周辺国を、経済成長させ、更に、その周辺国を発展させる・・・現在、経済貧困国として存在している地方、国家・民族は、その先進国に追い付くには、あるいは追随するには、余りにも、その格差が大きい。アインシュタインの傍で、算数に苦しんでいる子供が、如何に努力をしても、アインシュタインに追いつける筈がない・・・そんな主旨だったと思う。
中国が、個人・GDPで、日本・・・が、このままの成長を維持したとして・・・に追いつき、追い越すとすれば、世界のenergy源は、早々に枯渇する・・・中国が、日本を凌駕しようとすれば、その手段は「戦争」しかない・・・そんな言葉は使われなかったが、主旨は、そんなものだった。そして、私は納得した・・・現今のdeflationは止まるところを知らない・・・と。
しかるに、経済は消費である。生産大事・・・と、言う説が説得力があると思うが、その説得力は、恐らく欺瞞であり、思い込みであるだろう。そうでなければ、殆ど思考力を備えていないか、思考を停止した「認知症」と断じても良い。また、他人から、手段を選ばず「搾取」を信条として生きている人の言い分であろう。たとえば、店の経営を無視して「みかじめ料」を搾取する、悪質なヤクザ、暴力団等に似たものであろうと、私は、思う。今、暴力団・・・至って差別的な呼称だと、私は思うし、そう呼ばれる人々には、気の毒ではあるが・・・は、その地域を発展させ、安心して生活が出来、商売が出来る様に地域を守ってこそ、その存在意義があるのだが・・・昨今、嫌われるのは、ともすると、強者の為の存在になってしまっているからであろう。
「社内留保」・・・現今の暴力団(ヤクザ)とは似ても似つかぬものに見えて、案外に似ている。つまり、「社内留保」とは、企業を取り巻く環境の変化・・・特に激変・・・に備える、言わば「予備・軍備」である。従って、政治と経済が、消費者を上手にcontrolしながら、外交で、世界の経済との協調関係を良好に維持できれば、あるいは、その手段を有すれば、必要のないものである。つまり、紛争の調停者が居なくても、紛争の芽を摘む役割を、市民が担えれば、ヤクザも必要ないものである。
しかし、その「社内留保」が、そこに働く人々が手にするべき報酬を犠牲になされているとすれば、本来、存続する価値のない企業の延命の資金でしかない。そして、それは、蛸が、自らの足を喰いつくす様に、自らを破滅に追いやるに似ているのである。
如何に経営の理論・論理が精緻を極めても、働く人の給料を減額して、また、上げるべき給料を上げずに、労働を強いる。良き人材を求めながら、その良き人材を生み、育てる「家庭」を崩壊させる如き、労働条件を勤労者に強いる・・・「社内留保」の意味に矛盾するものであろう。製品の価格とは、マルクスを待つまでもなく、「労働の価値」である。その価値は、「消費の価値」でもあるだろう。「諸費」が価値を求めるから、労働が生みだす「生産」の価値が上昇するのであり、緩慢なるinflationの論理も、その価値の高騰に応じた、報酬の高騰が裏付けとなって、意味がある。
昭和30年に社会人となって、私は、ほぼ50歳まで、高度経済成長の環境の中で働いてきた。平成8年に現役を退き・・・以後、一切の務めをしていない・・・つまり、生産活動に寄与していないが・・・垣間見る、その後の状況に、現役世代の「無知蒙昧」を感じることがないでもない。最も、それを感じるのが、「労働運動」である。
昭和40年代は、strikeのOn paradeだった。当時は、山歩きを趣味としていたが、その長期、短期のscheduleに欠かせないのが、strikeのscheduleと、その見通しだった。そんなことが可能なのか・・・立場の利・不利もあるが、「脳」を駆使すれば、可能なのである・・・・。
しかしである。三交代の「監督員」・・・私は、shift managerと、自らを称していたが、労務、生産、安全・・・と、全てについてshiftの作業員を監督、指導し、工場の生産を工場させるべく、全ての努力が責務である。特に、工場の生産量が、その月の作業員の給料・・・業績手当と呼んでいたが・・・に響くとあっては、その確保も重要な責務でもあった。そんな工場では、strikeを、「労働者の権利」とばかりに、お祭り気分で安閑としているわけにはいかない。当月の業績給が減少するのは致し方ないにしても、年間では、何とか平均を確保しなければ、ボーナスにも響く。
春闘の季節が近づくと、今年は、「strike」があるのか、ないのか・・・労働組合のビラ、チラシでは、威性が良い・・・しかし、その先月の生産予定には、左程の変化は見られない・・・「strikeは、掛け声だけだ・・・」との判断が可能。しかし、strikeが予測される前月の生産予定量が大幅に増加していれば、strikeは確実に行われる。そして、その規模は、その生産量・増に比例する・・・つまり、strikeが、労使協調で行われている実体である。
労働組合も、「総評」に属しながら、選挙で組合が押すのは、「民社党系」の候補者・・・そして、労使協調の選挙運動が展開する・・・高度経済成長と、その余波が残っていた期間・・・労働者の賃金の向上は、労働組合の努力の結果の様に喧伝されるが、実は、企業が、生産を確保するための政治判断で行われていた「定期昇給」であり、「ベースアップ」だったのである。つまり、労働組合が、この間に、完全に去勢されて、今日に至り、それが、今日では、企業倒産を避ける為としょうして、賃金抑制に邁進しているのである。
加えて、昭和40年代半ばから始まった、労働者の「派遣」への指向・・・高度経済成長が続いて居れば、「派遣」は、気楽に働きたい労働者には魅力であった。そして、沢山の所為社員が、派遣に転じた・・・企業も、業務の分析を厳密に行って、正社員の業務と、派遣社員に任せてよい業務の分別を行い、正社員の覇権への流出に対応した・・・つまり、高い単価を必要とする業務と、低い単価の労働力・派遣で済む業務の分別をしたのである。そして、正社員に任せるべき業務、作業の合理化、IT化、機械化、outsourcingを推進し、労働コストの削減を行った・・・それが、現況の労働である。
労働組合は、ここでも何の異議を唱えるでもなく、安閑と眺めていた・・・と云うのが実体だろう。恐らく、派遣社員の増加の時期を現在に当てはめれば、正社員の給料は、可なりの上昇をしているはずだが、派遣と比べて低くおさえられ、そして、その余裕が、「内部保留」として、報酬とはならず、市民としての社員の購買力を低く抑え込んでいるのである。
社内留保で、国債を買い、「日本の国債は大丈夫」と世界に宣言し・・・結果として、「円」が上昇する・・・結果、販売価格の値下げで、企業の見かけの利益が減少し、売れ行きも低下する現況である。国内消費が増加すれば、「円高」も、緩和されるのであろうが、このままだと、浜矩子氏が言う様に、「1ドル=50円」も、間もなく実現するだろう。
円が、何故高くなるのか・・・それは、労働者がstrikeをしないからだ・・・端的に言えば、この一言に尽きる。貰えるべき給料を貰おうじゃないか・・・何故、そんな雰囲気にならないのか。悪しき教養を親から遺伝された若者が、そのDNAを大事にしているからだろう。
「若者よ・・・当面は、親の脛を齧り・・・
過激なstrikeで、社内留保をはきださせよう・・・」
と、私は呼び掛けたい・・・!