レバ刺し・禁止・・・差別社会の拡大・・・・

私の好物は「揚げもの」・・・特に、カレイ、ヒラメのから揚げは大好物だが、母譲りの、脂肪過多、高血圧症に過齢が重なって、最近は、家では食べさせて貰えない。外食は嫌いなので、ここ数年間は口にしていないと思う。
人間・・・好きなものを好きな時に食する・・・しかし、それは、「己の責任に於いて・・・」と云う前提があってのことである。私も、仕事仲間と「馬刺し・party」なるものを楽しんだこともある、また、通いなれた街の「南大門」は、常連でもあったし、大きなガラスの入れものに収まった「朝鮮人参」は、私のkeepでもあった。しかし、馬刺しを提供する店が少なかった間は安心して食べていたが、彼方此方に店が増え、snack等でも、隠れmenuで出る様になると、事故の噂が、彼方此方で聴かれるようになり、次第に敬遠する様になった。理由は・・・
食中毒は、存在に、周りに迷惑が掛かるものである。まず、数日間の生活が問われる。誰と、何処で、何を・・・“どんな風に料理されたものか”等も含めて・・・訊問される。そして、発病前の数日間の達より先・・・「食」とは無関係に・・・が、問われる。場合に依っては、営業停止になるお店も出る・・・こうなると、食中毒になった当人よりも、周りの人々が被害者である。時々報じられる「食中毒」のnews・・・風評被害が懸念されるので、その実体が報道されることは殆どないが、食中毒事件の、社会に与える影響は存外に大きいのである。
恐らく、大きなレストラン、有名レストランは、それなりのコストを掛け、対応可能な人材を揃え、訓練もしているので、その対応は早い。食中毒の「発火点」である場合は、逃れようはないが、無責任な客の行動による被害は、十分に対応できる体制はできているだろう。しかし、中小の、食堂levelの店は、そんなことは望みえない。客が、積極的に隠蔽してくれるか、あるいは、逆に、さっさと店を閉めて、風評の収まるのを待つしか方法がない。「通」と言われる方々の通う店には、魔ならず、ひと品、ふた品のメニューにない料理がある。それが、結構、危険を承知で食べるものであることが多い。食べる方も、「命」を賭して食べるのだし、出す方も、ギリギリの安全に、その食の価値を客に提供するのである。よしんば、己の命が危険に晒されても、店を訴える様な野暮はしない・・・加えて、家族も、父親が、夫が、犠牲者になっても、その店を庇い通すものであると、「通」は、通たる資格を強調する。
「生食」が、少しずつ姿を消している。刺身も、将来的には怪しい・・・しかも、食品事故が、外国の店舗で、殆ど発生しない・・・伝えられない・・・で、国内が多いのも、それだけ油断があるからだと、私は思うが・・・食べる方が、その廻りも含めて、己の責任で食さないからである。
店を選ぶのも、menuを選ぶのも、個々の責任であるべきなのだが、お金を払えば、提供する側に全ての責任を負わせるのが、当然だと思っている客が多い。食に限らず・・・でもあるのだが。
「チップ」・・・結構面倒なものであるとは、私の、僅かな体験でも思うことである。しかし、これは、接客に対する感謝・評価を含んでいるものである・・・日本人には分かり難いことなのだが・・・。例えば、料理が不味くとも、それは選んだ客の責任である。しかし、「接客」は、料理とは、また異なる視点・感覚で評価されるべきものなのである。「料理は不味いが、あの雰囲気が好きだ・・・」との評価もたまに聞く事はある。ウエイターとの何気ない対話が、食事前の、客の気持ちを和ませ、食後は、気持ちよく帰路につかせる・・・千金の接待であろう。その評価できない人間を「不粋」というのだが、私も、その一人・・・「粋」になる苦労のないままに、今日まで生きて来た恥ずかしさはある。
何故「法」で禁じるのか・・・飲酒運転のドライブで、田舎道で事故・・・県道が悪い、道幅が足らない・・・等を言い立てて「裁判」を起こす。飲酒運転に甘かった時代には存在した・・・・このethosが、色々な所で発露する。全て、不都合は、「他人の所為」、「政府の所為」・・・己の責任は何処に自覚するのか・・・今は、そんな世相。結局、「法」を厳しくすることは、市民が、国民が望んでいるのである。今回の、「レバ刺し・禁止」も同様。
恐らく、食べる所が消滅することはないだろう。但し、店も余程厳しく客を差別しないと、閉店に追い込まれる・・・その時、客は全く責任を感じることはない。店が客を差別する、選別する。結局、「差別社会」の走りになるのだが、私は、これが人間社会であり、あるべき姿だと思う。「馬鹿は死ななきゃ・・・」も、その伝承であろう。そして、伝統は、地下深く守られるのである。地下に潜るヤクザの様に、歴史的には、宗教迫害を逃れる信者の様に・・・レバ刺し・禁止・・・私は止むを得ない処置だと容認する。しかし、その裏で、「差別」社会が芽生えている・・・その事に無関心であってはならない・・・私の覚悟である。