640Mのbent・・・を急げ!

原発の再稼働が、ほぼ確実になった様子だ・・・危険は残るが、危険なくして現代を生きることは、生存の自己矛盾である。原発立地の「断層」を大々的に心配するが、「東京スカイツリー」の倒壊を心配する声はない・・・この塔が倒壊して、その下で命を失うのも、原発の事故で、放射線で命を失うのも、「死」ということでは同じである。死には区別はないのである。「死」を以って、その回避を、安全の問題として議論すること虚しさである。
福島の事故も、bentがきちんと機能していれば、filterが装着されていないという問題は残るが、少なくとも「水素爆発」は免れたはずである・・・色々と、芸人ニュースキャスターが偉そうな顔をしたり、ウケを狙った深刻な表情で、原発反対の姿勢をしめして「飯」にありつこうと努力すのが滑稽でもあり、哀れでもあるのだが・・・それを愚衆が賛美しているらしい。
結局、自分達が、如何なる「文明状況」に在るのかについての知識も教養もないことの反省が足らないのである。文明とは、例えば、「車輪」と云う文明が現れた時に、人間は、何時、この文明の犠牲になるか・・・それを嫌っては、今日のクルマ社会も存在しないことになる。癌が、身体のあちこちに転移すれば、恐らく、福島の被爆よりも多い、放射線を浴びることだろう。局部的に、注射でもする様に、放射線を照射すれば、その結果は歴然である・・・昨今の議論は、その照射が行われているがの様なものである。
勿論、危ないと思えば逃げればよい、非難すればよい・・・そのための「別荘」を彼方此方に確保しておくことも必要であろう・・・その選択は、個人の判断である。放射線が怖くて、体内の癌を放置するのも選択なら、徹底的に照射して、治癒に挑戦するのも選択である。電化製品に囲まれて、文明の利器に囲まれ、クルマを使い、TVを楽しみ・・・旅行を楽しむこともあるだろう・・・それらは「文明」あればこそ可能なのである。その可能性のベースにあるのが「電力」であり、原油である・・・地熱、風力・・・あるいは、地熱・・・これがどれ程のものなのかは、その利用のされ方を観察すれば、この国のエネルギーの消費量を勘案した時に、答えは明らかである。
今回・福島の事故で、「電源」の危弱さを学んだ・・・鉄塔を建てても、津波に耐えられない。発電車を準備しても、その燃料が確保されなければ役には立たない。また、発電機が津波を被っては使えない・・・すべて、体験して体験を生かせば、さらなる事態には、さらなる体験をすればよいのである・・・その様にして、我々はDNAを繋いで来て、今日があるのである。
住み慣れた場所を離れたくない・・・しかし、離れなければならない事態も生じるのである。だから、多少住み辛い所にも人が住み、住みやすい場所に改造して、住んでいるのであり、時に、天変地異は、その場所からも人間を追いたてる・・・その時「嫌だ・・・」と云うのであれば、命を掛けるべきである。
大飯原発、bentの設置は3年後だと言う・・・もう少し早くならないか。永代、どんな地震にも耐えるbentは、第二段として、当面のbentを、早急に装備して、水素爆発の防止に備えるべきである。福島のbentのfilterも、それを設置すると、原発反対派が、半ばdemagogy的なcampaignを来る広げることが懸念され、見送られてきたのだと言う。必要以上に世間の空気を読んだことが、水素爆発という、最大の事故を惹起したのである。
思いきって、640メートルのbentの設置を最終的には考えたら如何・・・あるいは、1,000メートルでもいい・・・燃料棒・被服の溶解を早期に感知し、当面bentで被害を食い止めながら、meltdownへの対策を講じる・・・事故なし・・・ならば、新幹線も止めねばなるまい。旅客機も飛べなくなる。あるいは、製鉄所の溶鉱炉も、転炉も・・・全ての生産設備の運転は不可能になる。文明を拒否するのは、自らの命を捨てることになる・・・幼い子供の命を縮めることになる・・・。
大きな運命の陰に隠れて、姿を見せない文明は、経験からは、ほぼ役に立たない文明である。しかし、それに新しい光を当てることは可能である。しかし、その姿が見えてこない中に、先を行く文明を拒否することは、芽生え始めた文明をも滅ぼすことになる・・・つまり、原始に、後ずさりすことである。
男達に「酒」を飲ませなかったら、街は静かになり、風紀は良くなり、平和になる・・・そんな女性達の気持ちから、「禁酒法」は生れた・・・結果は・・・ギャングの横行を促進しただけであり、どれ程の善良な人々の命が失われたことか・・・今、同じ様なことが、福岡市で行われようとしている・・・余談・・・「酒」が文明でなければ、こんな事にはならないだろう・・・が、「酒」は文明である。故に、その影響から犯罪が生れることもある。が、「酒」が、communicationに欠かせないものになっている現在、それを追放することは、そのcommunicationに発する、人間の関係を険悪なものにする・・・考えの足らない、愚か者の発想なのでる。
同じ事が「原発廃止」論者の論理に中にも見える。私は、「原発」を廃して、「原爆」を生みだす政治勢力の台頭を怖れる。今、世界の人口は70億、インド、中国の人口増を勘案しただけで、100億になるのは、時間の問題である。「電気」が民主主義に必要不可欠であると力説するのは、曽野綾子だが・・・文化未開の地方を走り廻る彼女故に、その言葉は重い。人口増が、何処で止まるか・・・しかし、100〜200億位は考えてenergy問題を考えるべきではないか・・・・私には、「原発反対」の叫びが、「貧しきは死ね・・・」の、シュプレヒコールに聞こえるのだが、諸兄は如何!