行政職員の政治活動・・・橋下・大阪市長の決断・・・・拍手喝采!

橋下大阪市長・・・仲々に良いbrainが付いている様子。そして、そのbrainのsuggestを丁寧に聞いている様子が伺える。山口二郎・・・北海道大学教授を、brainに持ちながら、その良さを全く利することのなかった・・・今は、見放されている様子だが・・・民主党とは雲泥の差があると、私は、両者を比べている。橋下徹が、既成政党との距離を用心深く保っているのも、brainのsuggestによるものなのだろう・・・素直な男なのだろう。
その彼が、「行政職員の政治活動」を厳しく規制する方向に「舵」を切った。やっと、日本にも、此処までの政治家が出現したのかと、昨日までは橋下徹に対する批判を緩めなかった私だが、ここに来て、彼の政治性を認めないわけにはいかない・・・少なくとも、この面に置いて・・・日本の地方行政を蝕んでいた最大の「害虫」の退治が可能になる可能性を見せてくれた・・・非常に嬉しい。
行政職員・・・特に、地方行政職員の政治活動は、マッカーサーの置き土産である。いや、彼が、その存在を排除する時間を失した結果として、その後の日本各地の地方行政を蝕み、堕落させた権化であり、退いては、「革新」の名の下に、地域ヤクザの存在を保証してきた根源でもあったと、私は考える所である。
北九州発足時の革新・市長の下で、五市合併後の北九州市は、ゴミの悪臭が、街々に漂った。これに懲りて、北九州市民は、「革新」という二文字を冠した政党・政治力を嫌い、嘗ての「革新政党」の勢力は大きく凋落した。そして、大企業の労働組合の「左派色」が衰え、「組合主義者」なる、労使協調主義的組合が力を得、労働運動のenergyが減退した・・・左に揺れ、右に揺れた北九州・・・その中で、街のcounterに群れる市・職員の愚痴や憤懣には、、嘗ての「左派の栄光」へのnostalgiaを、彼等に会うたびに感じていたものである。しかし、谷五平以降、現在は北橋健二を市長に頂いて、穏健な姿勢が、北九州に、日々の活力を戻すべく努力が続けられている。
大企業の相次ぐ撤退・・・産業構造の変化の齎したものだが、この変化が急であったために、未だ苦難の道は続いている。かつては、近郊の産炭地帯の衰退が、産業都市・北九州市の衰退に、再びの光景を見せるかと思わせたが、今は、健全な立ち直りを見せている。その中で、市職員のnostalgiaに、私は一抹の不安を抱かいものでもないのだが・・・大阪市長の決断が成功すれば、北九州市、及び近郊の自治体にも影響を与えることだろう。その成果を楽しみにしている。
TVに視聴したアメリカの例だが・・・夕方以降、深夜を除く時間帯の、市庁舎の住民serviceを低下させないために、ある街(TVに紹介された)では、volunteerの協力を得ていると言うもの。余波として、市・職員の不正の防止に大きな効果を及ぼしているのだ・・・と、そのcommentatorの説明にあった。大阪でも、実施して、行政のcost削減に利用することを考えても欲しいと思う。
橋下市長の、市・職員の綱紀粛正・・・それほど厳しいものではない。民間企業・・・鉄鋼業は、昭和二五年のred purge以来、人員整理・馘首を行っていないのだが・・・人事が採用した社員を、その地位や職制に依らず、悪戯に馘首することは出来ない、人事の社内の力があって・・・不正だけは、即日解雇されるのが常である。ひとつだけ、飲酒運転、運転事故・・・は、警察の通報がなければ、privacyに関わることなので、黙認されていた時代もあったが、いまは、警察に通報の義務が課せられている・・・と、聞く。
業務環境での政治活動。demo、集会を理由に無断休業すること。拡声器の騒音で、公共環境を汚濁し、業務を妨害する。文書・映像を、反・体制的に喧伝する。等々。市民への暴力行為、職務怠慢、飲酒運転、粗暴運転による事故・・・等は、言わずもがな。身分の保証levelが高いだけに、それなりの窮屈さは求められて当然である・・・行き過ぎたprivacy、人権などは、市民の人権、privacyを擁護する義務はあっても、己の過度な許容は許される筈もないのである。
反体制的・行政職員への市民の支持は、大きいものがある・・・言うなれば、無知の支持であると、私は断じるのだが、市長の懇切・丁寧過ぎる説明、説得も欠かせないだろう。あるいは、本来は、職員の義務であるべきだろうが、その職員への信頼を期待できない分だけ、市長への負担が増すことを覚悟して、邁進してほしい。私の期待は大きい・・・。