原辰徳&ヤクザ

己の名声に傷が付くことを怖れたのか、父親の名誉を考えてのことか・・・「下手の考え休むに似たり」であり、「悪の上塗り」ではあった。あるいは、小心者の怯えだったのでもあろう。たかが「女」の問題ではないか。己の名誉に転換することだって可能なはずであろう・・・相手にもよるが・・・。
また、親分の、渡辺恒雄の台詞が、時代錯誤も甚だしい。これが、読売というブランドを背負う人間の発言か・・・このmediaの信頼にも関わる問題であろう・・・その発言を改めて書くのも鬱陶しいが・・・・「彼は、相手が、その筋の人間とは知らなかった・・・云々」。とぼけなさんな!と、一括もしたくなる。
原辰徳が、どんな女と、どんな付き合いをしていてのか、私は寡聞にして知らない・・・週刊誌に報道はされたのだろうが・・・。私世代の人間には、珍しくもないし、自らも憧れた世界である。「俺も、おんなの一人や二人をはべらせるような、甲斐性のある男になりたい・・・」思ったものだったし、酒の席のmannerも、先輩をしっかりと目に焼き付けたものだった。しかし、直ぐ上の世代が、もう駄目だった・・・・。勿論、「赤線」が廃止になったこともあるし、昭和30年代は、結婚観が大きく変貌した時代でもあった。また、クリスマス。イブに父親が、ケーキを下げて、早めに帰宅する風景も、30年末には、余り不思議な光景ではなかった。北九州では、まだ多少は奇異の目で見られたものだが・・・
しかし、鉄鋼の、高熱重筋作業の現場の組長(フォアーマン)の、三人に一人は、お妾さんを持ち、中には、お店(飲み屋)を持たせて、部下を接待していたものである。数人の子持ちでも、社宅に住み、高等学校に進学させるのは長男だけ、残りは中学校卒業後は、大企業の給仕・夜間高校、または、店員、鍛冶屋の弟子や商店の丁稚などで生活力を付けるchanceを与えれば、父親の役目は果たせたのだから・・・。すべては、父親の人生観・生活観であり、名誉などというものは、部下を従える誇りだけが財産だったのである。「女」と関わるとは、そんな己が存在して初めて可能だったのであり、ヤクザに脅されて、一億円もの「かね」を安易に渡す等、男の風上には置けない人間場のである。
Newsを聴いた時にあきれたのは、時代を舐めて過す男のダラしなさである。私世代が見た「潮目」は、遥か彼方に消えている・・・歴史の彼方である。それを見よとは言わない・・・もう見えないのだから・・・。しかし、その延長にある現在には、現在のモラルがある。それに「無知」な男が、ジャイアンツと云うチームを統率する不思議さである。即日引退するかと思いきや、その夕刻のナイターには、涼しい顔で指揮を執っている・・・私は、その事に呆れているし、moral hazardでもあろうと感じるものである。
加えて、渡辺恒雄の発言・・・こちらの方は、認知症的(かつては、“もうろく”と云う言葉もあったが・・・)老人の繰り言と片付けた方が無難だろう。「相手の事をしらなかったのだろう・・・」とは、余りにお粗末な弁護ではある・・・弁護の余地のない人間を弁護しようとすれば、言葉は、これしかなかったのかも知れないが・・・それなら、沈黙を守るべきだったろうし、原辰徳への多少の弁護にもなったのではないだろうか・・・・。
先には、小沢一郎の妻が付きつけた「三行半」が、newsの世界に抹消された、そして今回は、原辰徳と渡邊恒雄の馬鹿なやり取りと、辰徳の、限りなく犯罪に近い不道徳が、闇の葬られるのであろう。これが、この国のmediaであり、mass communicationであり、有名人のmoralなのである。
「知らなかったから罪はない・・・」。我々は、おめおめ、こんなことが己に通用するとは思ってはならない。我々が同じことをすれば、軽くて世間からの追放、時に、塀の中に収容され、臭い飯を喰わされることになる・・・用心、用心!