小沢一郎・・・無駄な足掻きか!

粘っている間に、瓢箪から「駒」が出るかも知れない・・・小沢一郎の魂胆だろう。街頭の声でも、増税を認める声は多い・・・多数ということではない。街かどで付きだされたマイクに、「増税」を認める声が出るのは、政府・官僚の冗費節減の次元の前に、一先ず「財政」を健全化するべきだ・・・あるいは、その努力を始めるべきだとの意識が、市民の間に芽生えている証であろう。
国会議員の数も、寺島実朗氏が、事あるごとに指摘する様に、余りにも多い。何故、こんなに沢山の国会議員が、戦後に設定されたのだろう・・・その経緯を考えて見るのも、あるいは大事なことかも知れないと思うが、「何故減らせない!」への答えは明確である。国民が、国会議員・減員に積極的ではないからである。寧ろ「反対」なのである・・・本音では。
地方議会でも同じ。我が街でも、20人の市議会議員を16名に減員する議案が提出されたが、同数採決になり、議長裁定で、否決された・・・議長は、共産党議員。「革新」を標榜する政治家の「二枚舌」・・・。結局、定員が減れば、狂気的な支持者に支えられた議員は、落選の憂き目を見るのは確実・・・もっと広い支持を得られる為の努力は容易ではない。Populism政治家には、熱狂する支持者が必要なのであり、その熱狂する支持者が、地方政治を破壊し、国家を破戒する大きな要因なのである。
しかし、地方であれ、国会であれ・・・他人の選挙区の国会議員は減らしても良いのだが、己の選挙区の議員は減らされてはならないのである。「定員削減、冗費節減」が、如何に「建前」であるのか、我々・一人一人の胸に聞いてみなければなるまい。そして、「節減」を云い、政治家の無駄使いを非難するなら、それをさせている、そして、そこに甘い汁を期待しているかも知れない、己を恥じるべきだろう。
小沢一郎の云う「国民の声」とは、その様な声なのである。Populismの権化の様なmanifestで当選した民主党議員・・・二匹目の泥鰌を狙って小沢一郎の尻を追い回していても、選挙民に、政治家としての見識を相対して語ることはないのだろう・・・が、世間が騒げば、「何故騒ぐのだろう・・・」位の疑問は生じる筈である。そして、そこから「学ぶ」ことも可能であり、学ぶものである。小沢一郎やその取巻きチルドレンが考えているより遥かに選挙民が成長しているのではないか。私はそうあって欲しいと思うし、少なくとも、私は、そうであると確信する。
そんな私に、悪あがきの小沢一郎の姿は醜い・・・また、その取巻きも、輪を掛けて醜い!輿石幹事長が、己の理念で行動しているのであれば、何処かで、小沢一郎の足掻きを止めさせてやるのが、友情と云うものだろう。輿石幹事長について言えば、日教組という、日本の教育を歪曲した・・・と、私は思っている・・・その政治姿勢を守ろうとしているのか、あるいは、野田佳彦と云う、、稀に見る「人格者・宰相」を、日本の政治に生かす「諸葛公明」足らんとするのか・・・私は、小沢一郎よりも、彼の尻を追う、若い政治家を一喝して欲しいと思う・・・「お前らは、お前らの政治を創造せよ!」と。
愚かな若者を引き連れて、城山に自刃して果てた「西郷隆盛」たらんと、小沢一郎がするなら、それも、一人の政治家の終焉に相応しいものでもあるだろう。