42億円の遺産相続・・・羨望するなかれ!

鳩山由紀夫、邦男兄弟に、現金、土地、株等・・・42億円相当が相続されると言うnews。伝えるannouncerの声も上ずっている。
しかし、「遺産」と云うものは、一朝一夕に生れるものではない。遺産を相続される側にだけを眺めれば、「羨望」もするだろう・・・しかし、人は、誰しも、「ご先祖様」になるのである。子孫に、或いは子や孫に、相続すべき遺産を生みだすchanceは、如何なる政治体制であれ、社会の状況であれ、可能と考えるべきである。寧ろ、「不可能」とする要因を探る、探すことの方が難しいだろう。いや、私は不可能だと考える。そのmoral問われるにしても、羨望する側の問うべきものではない。Moralに問題有りとするならば、羨望しなければよい・・・だけのことである。
無知蒙昧と言うが、私は、愚痴蒙昧を、何時からからか、自らを戒めるphraseとして大切にすることを思う様になった。同僚、先輩、後輩、そして、我が親族・・・政治を非難し、他を羨望し、原因の定かでない怨恨を身に纏い・・・自ら、自らの心を縛り、それが、未那識(七識)、阿頼耶識(八識)になっては、もう、全く取り返しは付かない。そんな遺産を相続した子供が、後に、その弊害に気が付いたとしても、自らを矯正する時間は許されていない。悲憤慷慨・・・親を恨み、祖父母を恨み・・・自らを、沈めて一生を終ることになる。
この「42億」と云う遺産を羨望し、それを社会や政治の所為にしてうっ憤を晴らしている様では、その汚らしい「根性」だけを子供に子孫に残すことになる。憤懣やるかたなしの人生を、己の子孫に遺産相続することになる。
「おかね」に、そもそも清潔、純潔、潔白を求めるのは愚かである。一枚の紙切れを「一万円」と云い、「千円」と云うのは、共同幻想である。金正日がdenominationを行った。一万分の一のdenominationだった。物価は安定するはずだった。しかし、手持ちのおかねを一万分の一にされたのは庶民だけ。軍人の給与は、denominationの対象ではなかった。故に、軍人の給与は、一万倍に増えたことになる。通貨が溢れ、物凄いinflationが生じた・・・お金とは、こんなものであり、時に、政治家が、これほどの悪辣な行為で、自らの懐を肥やすことも可能なのである。つまり、金正日の幻想が、国民を塗炭の苦しみに追い込み、軍人政治家の懐を豊かにした・・・おかねが幻想の象徴であるが故に可能なのである。
由紀夫、邦男への遺産相続は、母親からのものであるらしい。つまり、石橋concernからの相続を受けた母親からの相続である。その意味では、母親が生きていて、石橋concernからの「流入」が続く限りの有限のものであると考えるべきだろ・・・勿論、株の類は、このconcernが存在する限り続くことになるが、それは、相続ではない。
自らが、一族の財形の発端になることは可能である。Chanceは与えられている筈である。能力は、己の責任であり、その努力を継承する子孫の存在もまた、意志の継承であり、遺訓を如何に継承するか・・・放蕩三昧を避けるか・・・其処には、幾つかの重要な要因が潜み、それを幸運とだけ言うのでは、最初から「負け犬」・・・「武士は食わねど高楊枝」の精神の方が、余程美しい。
また、蓄財は「文明」でもあるが、「文化」でもあり、それを「教養」とすることでもある。そして、「教養」とは、知識の活用になる「思考」である。そして、その思考の力こそが、その財を膨らませる原動力なのだろうと、経験のない私は思う。そこで・・・「思考力」を継承するか、「財産」を継承するか・・・私は、「思考力」の継承だと思うのだが・・・諸兄の感想は如何?