ヒッグス粒子・・・

物理学、とりわけ「粒子学・・・正確な表現ではないと思うが・・・」に於いては、湯川秀樹の「中間子論」もそうだが、理論上の「欠陥」を補うものの予言の実現が、その発展でもある・・・私の勝手な思いだが・・・何せ、我々の目にするのは、personal computer上の、陽子の衝突の結果の軌跡でしかない。せめて「形が・・・」と、思わないでもないが、これが、「京」を二つ重ねた乗算以上の小さな粒子であってみれば、この軌跡を見せて頂くだけで、有りがたいと思わなければならないのだろう。
「こんなものが、何の役に立つだろう・・・」。仕分け感覚で、どこからか聞こえてきそうなセリフではあるが、今使っているpersonal computerにして、少なくとも「電子」の発見がなくば、あり得ないことを考えると、このヒッグス粒子の掛けられる期待は大きい。
「文明」とは、その扱いの中で、次の可能性を予言してくれる楽しみがある。「文明の余慶」に浴しながら、文明に恐怖を感じ、文明を嫌悪する人々には無縁の心理であり、身勝手なものだと思うが、原発放射能も、ヒッグス粒子的な「物質;セシュウム」が発生した途端に、大きな重力を持たせれば、空中への悲惨も防げるのではないだろうか・・・私は、そんな夢を描く。また、体内に被爆しても、そのセシュウム粒子を扱いやすい物質と結合させることが出来れば、また、対策も色々と考えられるだろう・・・とも。
「セシュウム」と雖も、ビッグバンに端を発する物質だろう。我々の住む宇宙環境を解明することで、より安全に「文明」を進化させる方策を考えるのも・・・我々の義務であり責務でもあるだろう・・・「夢」とは、その様なものでなければならない・・・と、私は考える。ヒッグス粒子の夢は、果てしなく広がる・・・!