虐め・自殺に、橋下大阪市長の涙

鬼の目に涙・・・しかし、これは真摯ななみだであろう。今朝のTVの映像に、ある種の清涼感を思った私だが、改めて、「学校は怖いところだ!」と、思った。
私の体験から・・・・引揚げて来て、炭坑町のマンモス小学校・・・全校生徒数=60人×12クラス×6学年・・・に入学。終戦から入学まで、一年間超のブランクがあるにも関わらず、周りの子供のlevelの低さに、友人すらも出来なかった。勿論、その私の感情は敏感に伝わるから、友人は出来るはずもない。孤立無援の中で苛めにあつ辛さは、今も、私のtraumaだが、一人の女教師だけが、私に、今日的に云う「コーチャー」を付けてくれた・・・小学校4年生。
その子を中心にして、何人かの友人が出来たが、病院長の息子であったり、呉服屋や写真館の御曹司、果ては、炭坑の重役の息子であってみれば、私のguardには成り得ない。単なる傍観者である。しかし、成績の悪い子を友人にする知恵は生れた。5年生、6年生では、彼らとの友情の中で、比較的安穏だった・・・しかし、炭坑の小学校の子供の出入りは激しい。年度の変わり目には、約半数、学期の変わり目にも、約三分の一が入れ換わる・・・善き友人は早く去る!・・・それが、虐めの減少に効いて、私の今日がある。
鮮烈な記憶は、虐めgroupの一人が「独り」でいる所を狙って、背後から襲い、ほう歯の下駄で殴りつけて、教師に、復讐は一発にしろ・・・と、注意されたが、卒業式の前日の、大雪の午後、遊んでいる間に下駄を盗まれ・・・一時間余の通学路を裸足であるかされる羽目になった。教師の一言・・・「やられたな!」。私には、闘った記憶が残った・・・・。
学校は怖い所である。以後、高校を卒業するまで、その理念に変更はなかった。だから、classmateとも、他のclassの顔見知りとも、慎重に付きあったし、教師へのオベンチャラも覚えた。これを「右顧左眄」とも言い、父は、「人間万事塞翁が馬」を忘れるなと・・・これは、社会人になる時に云われたのだが、実は、内地の小学校に入学した4年生から、高校を卒業するまでの、私の処世術ではある。学校と云う環境が教えてくれた「実学」である。
虐め・・・教師に、これが見えざるは、教師にあらざる教師の存在である。現今の日本において、学校程に信頼され、期待されているsystemはない・・・入学前の子供や母親に・・・しかし、そこには「悪魔」が巣食い、「悪魔」を育てる、「教師の皮」を被った悪魔が巣食っているのである。その悪魔は、私は先天的なものだと思う。私の出会った数人の「悪魔的教師」は、その育ち方からして「悪魔」だった・・・教師になる資格が育ち様のない環境、そして生活ぶりだった。そんな教師を、採用の段階で見極めるのは、ある種の「差別的視点」がなくば不可能だろう。そして、「悪魔」とは、得てして頭脳は明晰であり、犯罪を犯すまでは、その姿を隠すものであり、己の「悪魔性」に磨きをかけているものである・・・もちろん、稀な程に少数ではあるが・・・それだけに、「魔手」に掛かる犠牲者が哀れであり、その「魔手」に同調する幼稚な精神が哀れでもある。そして、それを見破れない「教育委員会」の面々は、「教育或いは訓育」の専門家ではあっても、人、なかんずく子供に生きて行く力、知恵を授ける技量を持っていないのだろう。自らは、要領良く、その椅子を手に入れているにしても、それは、その椅子の為に尽くすことをもって、その職とする性根でしかない。故をもって、私は学校を「伏魔殿」と呼ぶ・・・のである。
私が、虐め・・・陰湿なものではなかったと、当時を語る人は多いが・・・の現場で見たものは、街のアンチャン・・・ヤクザ、顔役の使い走り・・・達の存在だった。この、半分少年、半分青年の様な若者に、子供の保護を依頼しておくと、苛められた時に、学校に乗り込んで来て、帰りを待ち伏せして「仇討」をしてくれる・・・可愛い子だと、頼まないでも守ってくれる。頼もしい助っ人だった・・・。ヤクザ・・・今日的は「暴力団」と云うのだろうが、そんな効用もあったのであるし、世を忍びながら生きる博徒の、安全弁でもあったのである・・・座頭市の様な・・・。
学校は、そのままでは、弱肉強食の世界である。暴力の面でも学問の面でも・・・天真爛漫に、喜び勇んで通う「学校」・・・其処が、どんな場所かを学ぶのは、野獣の子供が、母親の狩りに同行して、草原を知ることに等しい。通知表の点が良ければ、それで安心は出来ない・・・何故なら、それは生きる力とは無縁のものであり、生きる為の知恵とも無縁のものである・・・しかも、一旦「虐め」の環境が出来上がると、教師、学校長、PTA、そして教育委員会を相手の闘争に我が身を置く事になるからである。
入学式・・・・それは、我が敵と味方を峻別する儀式の場でもある。恐らく、世界中の学校が、同じ様なものだろう・・・・もし違いがあるとすれば、親が、直接相手の親なり、虐めの現場を押さえるなり、あるいは、写メール撮影を、友人達に依頼することを、恥じらいもなく行うethosであろうかと、私は思う。親が、我が子を守るに・・・恥も外聞の棄てる・・・時には、職業すらも棄てる覚悟・・・それが叶わないでは、子供を守ることは不可能・・・理由は、無責任な「親・大人」が蔓延ってしまった現代だからである。そして、その様な現代に関して、親自身にも、一端の責任はあると考えるべきだろう。人生とは、生存競争なのだから・・・・。
橋下 徹の涙も、その事に思い至らない親への、同情の涙なのかもしれない・・・私には、そう見える。子だくさんの彼の子供の一人も「虐め」に遭遇していないとは、私には思えないから・・・。