逆転現象の論理・・・・

働くよりも、生活保護を受給する方が得だ・・・それは、今に始まった話ではない。「生活保護制度」が始まった頃からあった話。今に何故・・・働く人々が、多少なりとも「声」を上げる様になったこと・・・いや!・・・「働きたい・・・」と考える人々が増えたことである・・・と、私は確信する。このnewsの背後に、「生活保護」を切り下げる思惑が大きく働いていると、私は感じているが、それが妥当なら切り下げるべきだろう。生活保護の受給資格を持っている人々を漏れなく拾えば、恐らく、現在の数倍にもなるだろう。その意味では可能である。
しかし、それでは、働く人々のdisciplineを失わしめることにならないか・・・つまり、貧しさの競合になるのではないかと云う心配である。「自分の利権」にしがみ付く風潮からは、社会の発展・進歩・改善はない。技術が進めば、落ちこぼれる労働者が生じるのは当然である。そして、その隙間を埋める人材が、人間市場から拾い上げられる・・・その様な切磋琢磨で、社会のenergyが生れ、活力も生れ、その中で、保護されるべき人々への支援の手を差し伸べることもできるのである。そして、そのsystemの中から、明日の需要が生れ、工夫が生れ、creativeな社会が実現するのである。
GDPが伸びない・・・ロボットの様な勤労・労働者が、排他的な環境を、労働組合という名文で作り上げ、高い雇用障壁を設けて、労使協調と云う美名の下に、企業と云うsyndicateを維持している現状・・・当然、給料の伸びはない・・・それどころか、経営者の能力の低下、そして、内輪の論理で身辺を固め・・・悪徳すらも隠蔽する現状である。「生活保護」が高騰したのではなく、伸びるべき、賃金が止まっている、いや、切り下げられている・・・その現状に、企業も政治家も、はたまた労働組合も瞑目しているだけなのである。
かつて、classmateの中に、「特定郵便局」の息子がいた。昭和28年、29年・・・就職氷河期である・・・短かったが・・・その渦中にあって、一人のんびりしている姿が目立った・・・おれは、親父の後取りだから・・・と、就職活動(当時は、勉強することだったが・・・)には、全く無関心だった。小泉郵政改革で、特定郵便局がなくなる・・・と、聞いた時は、事の外嬉しかったが、その後は、悪徳政治家の造反でどうなったのだろう・・・徹底的にやるべきだったのに!
今、労働組合が、賃上げ闘争も行わず、闘う「力」も持たず・・・持とうとしない・・・採点賃金を、自らのlevelとしている現状・・・私は、現況の不況の責任は、労働組合にあると断じて芳賀からない一人である。
その裏で、企業の内部保留が、相も変わらず増加していると、newsは解説する。だから、「国債」は際限なく発行される。つまり、労働者の「稼ぎ」で、国債が買われ、国家の財政を歪めているのだが、それには、労使共に、固く口を閉ざしている。「過ぎたるは及ばざるが如し・・・」。経済を少しだけ加熱させる・・・・それは、万国共通の、古今共通の手法である。ピラミッドしかり、万里の長城しかり、はたまた、奈良の大仏しかり・・・・人間は、無駄な投資で経済を立て直し、その余波で、次の世代の経済の基盤を作る、あるいは増強するのである。そして、緩慢なインフレの中で、貧富の差を埋めながら、そこから生れる新しいenergyに期待するのである。それが出来なかった国々が、列強によって植民地化されたのであり、中国、インド、、そして東南アジアの地域だった・・・しかし、古代国家の間に、energyを使い果たしたと、同情的に理解することは出来るかもしれないが・・・経済は、足踏みした途端に、奈落の底に転落する可能性を含んでいることも忘れてはならないだろう。
清盛の「流通革命」が頓挫して、頼朝の「土地経済」が、今に続く、我国の経済である。バブルは、その最後の華・・・・土地の売買が、経済を活性化させる・・・つまりはバブル・・・その時代も終わったのである。1,000年以上、同じ輪の中を巡っているだけの経済である。生活保護受給も、そのどん底で、喘いでいるが、味方を変えれば、彼らが革命を起こす可能性はある。その時、最初に血祭りに挙げるべきは、卑しい特権にしがみ付いて、彼等を困窮させた、組織労働者、なかんずく、公務員、教師の組合だろう・・・一人残らずギロチンに掛かる資格はある。
生活保護受給額 > 労働報酬」の図式が、生活保護受給額の過大であるとの認識は、明らかに誤りである。企業の社内留保と、不適正な賃金体系にこそ、きちんとしたメスをいれるべきで、倒産すべき企業は倒産させべきだろう。国内企業の衰退を心配する余り、国民のenergy、vitalityの喪失こそが、亡国を齎すものだと言う認識を、政治家も企業家も、今一度確認すべきではないか。肝に、今一度命じるべきではないか・・・。議論の方向を誤らないで欲しい。