梅雨・豪雨災害を考える----

九州の筑後川流域・・・支流も含めて・・・また、中津が、珍しくnewsに顔を出した。
先ずは前者・・・もう20年程も以前になるか・・・阿蘇の外輪山の、大きな被害を受けた杉の植林の様子をバスの中から見たことがある。数週間前の台風の被害だったと思う。被害を受けていない地域(場所)には、美しい、スギ林が残っていた。びっしりと林立した杉林は美しく見えた。しかしである、暫く下ると、その密集の杉の林の一本、一本が、大きく「おじぎ」をして、山肌を覆っていた。ガイドの説明によると、伐採しか救済の方法はないのだと言うことだった。しかし、建材として利用するにはまだ太さが足らないのではないか・・・と、その筋に詳しい方がつぶやいていた。
そして更に下ると、そこには、更に悲惨な光景があり、それが、夜明けダムまで続いた。つまり、山肌は、倒木で埋まり、事前に伐採したのも知れない、杉の大木で埋まり、谷筋も、谷側も、杉の大木で埋まっていて、そのfinaleが、夜明けダムだった。此処は、貯木場と見紛う光景だった。その後のnewsは報道されないので、知る由もないが、今回も同様だったのではないかと、想像した。
新聞には、「想定外」の文字が大きく踊っていたが・・・これが、想定外なら、豪雨・・・とりわけ集中豪雨には、どれ程のものを想定していたのだろうか・・・そんなclaimの一つも付けたくなったが、記者には「想定外」だったのだろう。
その後、豪雨に依る崖崩れ等のnewsに気を付けているのだが、概ね、植林の崖、山肌である。崩れないのが不思議なくらいである。早く伐採すれば、二次林が出来るのでは・・・と、思うが、植林とは、そう簡単なものではなさそう・・・余計なお世話的な「法」も、健全な山林の誕生を妨害するのだと、聞いたこともある。
そもそも、この列島は、あちこちを、人間の目には「破壊」とみえる「改造」が、自然の手で行われて今日に・・・人間が住み始めた・・・至るのであり、地震津波も例外ではない。その人間の創造したものを破壊されることを「災害」と呼び、人は、その経験から学ぶ・・・しかし、学びを大きく凌駕する自然の破壊に不可抗力と判じる時に、「不可抗力」なることば当てられるが、基本的には存在してはならないphraseではあるだろう。
植林山林の崩壊、あるいは、山林手入れの後始末の不十分が招いた災害を「不可抗力」と呼ぶのは、各人の無責任を免れない。植林、そのものが、自然破壊なのであり、人間が住むことが、そもそも自然破壊の要素を多分に含んでいる。「時間」が、人間の定着生活に始まったとして、その定着が、自然を破壊しないでは実現できなかったことに、思いをいたすべきであろう。
中津の洪水・・・私は、この川の上流を40年程前に一度だけ訪れたことがある。そこの出身の方が亡くなった、その一周忌に訪れたのである。こんなのどかな所で、育ったのか・・・亡くなった当時は、鉄の街の社宅住まいだったが、鋭利な頭脳と、秀でた判断力には、職制的には、私が上位に在りながら、学ばせて頂く事は多かった。論理、言葉には、可なりな厳しいものがあり、どんな父に育てられたのだろう・・・と、その学歴を凌駕する判断力と推理の論理に、常に頭の下がる思いにさせられたものである。
それが、緑深い山裾に広がるのどかな田園・・・こんな所で、少年時代を過したのか・・・遠くに見えて、容易には近づかない母屋の姿に思ったものである。初夏だったこともあって、稲の香りがむせ返る様で、それでいて、稲田を渡る風は涼しかった・・・その風の発する所も、遥かに遠かった。
その後に、訪れた同輩の話では、すこしづつ、新しい団地が奥地・・・川の上流・・・我々が二時間程も歩いたものだが・・・に伸びていると言う事だった。その話も随分と昔になった・・・TVに下流の都市部の流れを見ながら、上流をconcreteで固めれば、さもありなんと思ったものである。被害者は、天候を恨み、行政の立ち遅れを批判していたが、川の上流が如何なる状態になっているか・・・その川・・・治水・・・の前提である処理能力を越えているのであれば、それを知らずして住み続けた愚かさを、そこに定着した愚かさを考えるべきではないか・・・と、冷たく論評もしたくなった。
中国の「古言」に、川土手をかさ上げするのは、最も愚かな治水である・・・と云うのが有るそうだ。川の上流が、川下の安寧の為には如何に有るべきか・・・緑豊な田舎に、土地を造成して家を新築する・・・下流の人々の加害者になりかねない行為だと思うべし・・・また、川下で、川の近くに流れを楽しむ住まいを考える時は、その川の歴史に思いをいたすべき・・・私の思う所である。すべからく、人間は、集合住宅に、その安全を万全に備えて、その人生を送るべしと・・・。