田舎に住む・・・自然破壊税の創設を・・・・

九州中部の大水害・・・まだ収まりそうもないが、数日夕には収まるだろう。そして、「喉元過ぎれば・・・」の例え、人の噂も75日・・・何事もなかった様な日常が戻る。勿論、被害者への同情もいつの間にか消えてしまう。復興だ、賠償だ・・・と、喧しい話題がmediaを賑わすが、そんな騒ぎも、いつの間にか姿を消す・・・60年安保騒動しかり、70年学生運動しかし・・・何も残さず、消えてしまう。かつて「5月騒動」で、ミッテランを政権の座につけ・・・革新(左派)政権を誕生させ、憲法を改正して第五憲法を誕生させたフランス市民とは、雲泥、月とスッポン異常の差ではある。
今回の豪雨、崖崩壊、川の氾濫・・・等々、未曾有の天候(雨)だと言い、予想外の梅雨だと気象庁は宣うが・・・そんなことはないだろう。と、私は思う。乏しい観測体制でdataが観測されていない、残されていない・・・歴史の中に生きた方々の「日記」でも発掘すれば、私は、類似の記録は見つかるだろうと、私は思う。
なにせ、この国土・・・崩壊、洪水、近く変動の末に誕生している筈だからである。恐らく、人間が「手」を触れない期間は緩慢な変化・・・崩壊、洪水、浸水・・・であったろう。しかし、農耕・開発が進み、田畑を拡大し、隠し田の様に、水源近くに「田」を作り「畑」を作り・・・管理も粗雑なものになり、大地に傷だけを残す・・・そこから浸水すれば、何時かは崩落の原因になる。なぜあの山が・・・とは言うものの、現代に続いているのであろうと、私は思う。
背後に山を背負い、面前に拾い田、あるいは、長閑な流れを眺めながら、春は花、夏はホタルを楽しみ、秋は虫の声に耳を傾ける・・・それは、万全な自然が、偶然にも囲んでいて可能な環境である。裏山の「樹」を一本伐れば、環境は壊れる・・・二次林を竹やぶに代えれば、その保水能力は愕然と変わる。しかも、その根が、次の崩壊を誘因する・・・「筍」欲しさが、裏山を崩壊させ、己が命を危うくする・・・少しづつ人間が、忘れて来た、自然への尊厳であり、強欲に依る破壊の結果である。
川とて同様・・・水の流れの欲するままに流せば、洪水も起らない・・・必要があって、流れを制御するのであれば、それなりの知恵とcostを掛ける必要がある。「税金」を嫌えば、それだけ、我が命を危険に晒すのは、当然の報いである。
更に言えば、堤防決壊の歴史が少ないのは、川を知ることに真面目だった祖先たちが、川幅に余裕を持たせて構築していたし、「霞堤」と云う知恵を編みだしたりして、その被害を押さえていたに過ぎない。「水」の挙動は、今も昔も変わらないのである。つまり・・・・・
「川は至って人工物である・・・」との意識が
希薄になり過ぎているのである。
原発が「人災」なら、洪水も崖の崩壊に被害も「人災」である。我々は、mediaのnewsに判断を誤ってはならない。私は次の事を政策として提案したい・・・・
「消費税を、5%積み増しして15%とし、積み増し分を、全国の川の全ての「拡幅」に当てる」。加えて、田舎に自然を楽しんで住む人々には、「自然破壊・税」を別途課す・・・如何か!