大津・中学生事件に、学んだもの・・・・

「親」とは聖人なのか・・・と、問うて・・・・
「親が、親が・・・・」と、TVのcommentatorが叫ぶ。教育・識者が評論する。「親」とは、そんなに立派なものなのか・・・江戸時代、少なくとも、中級・百姓以上、そして、中級商人以上の市民の子供は、殆ど遊ぶことが許されなかったと言われる。何故か、豪農、豪商、そして高級武士以上の家族が、優秀な人物の発掘に熱心だったからだと言う。
どこそこに利発な子がいる・・・と、聞きつければ、それは、「養子」の候補、あるいは婿取りの候補であり、時には、高名学者の塾に通うための経済的援助も惜しまなかったのだと言う。女性の場合も例外ではない、。今日で云う「名取」の候補になるべく芸達者な娘がえらばれるのであり、大店の嫁の候補になり、最高は、江戸城の大奥に召し出される・・・勿論、当人の幸せの問題とは同列には語れないのだが、後は当人の才能とすれば、切欠は与えられる・・・それが、江戸時代までの、日本の「教育」慨念だったのである。
「読み、書き、算盤」・・・その中には、「愛国心」の欠片も要求されなかった。それは、当人の自覚であり、師の人生観の問題だったのである。勿論、「農」、「商」、あるいは「工」では、「家」の継承が大きな問題ではあったろうが、それは、「名誉」の問題でもあった。子供は、その環境の中に生れ、育ち、成長したのである。
子供の遊ぶ「空き地」・・・江戸時代の空き地は、非常に危険なものであったし、子供の事故死も多かったと言う。長屋の子供が、殆ど長屋の地域を出ないで遊んでいた・・・拉致、誘拐も日常茶飯事・・・子供の死亡率が高かった時代・・・健康に育った子供を拉致し、誘拐するのは、他面でで、立派なbusinessだったのである。その長屋の子供でさえ、良き浪人武士に出会えば、結構な学習は出来たのであり、僅かな才能が認められれば、剣術道場への入門が可能だったのである。明治に作られ、国民に意識づけられた、「江戸・悲惨史観」が、今やっと修正されつつあるが、未だに深い禍根を、私達に残している・・・我々も、それを意識して「歴史」を学び、刷り込まれた、学校・教育的歴史観の修正を、自らの力で行わねば、大津・中学生自殺事件の報道のバカバカしさに囚われてしまいかねない・・・要・注意。
子供の教育に、成長に、「親」を持ちだせば、それは、「差別社会」を容認しなければならないだろう・・・と、私は考える。
明治・維新政府が、いち早く、Europeの教育制度を取り入れた理由も、草莽の志士達が、明治維新の活躍に依るものだとは言え、新しい「日本」を滅ぼしかねない存在であることに気が付くのに、時間は要しなかった。己が、何故に学び、何を習得し、何を持って、現在を動かそうとしているか・・・を考える時、最初に気が付いたのは、「国民」の不在だった・・・つまり、「国民」と云う言葉さえなかったのである。自分達は、夫々の「師」に学び、現在があるにしても、その中には「国民」と云う概念は存在していないことに気が付いていたのである。
勝海舟が、最後まで「慶喜」を見捨てなかったにしても、決して評価していたのでもないことは、倒幕派の中に、「国民」意識の芽生えがあっても、「慶喜」の中に芽生えなかったことにあるのだろうと、私は理解する。
立派な・・・定義は色々あるだろうが・・・親は、立派な子供を育てるだろう・・・可能性が高いと言う意味で・・・しかし、その家族は、可なりなところ「階級意識」に、その精神を支えられているのではないか・・・「誇り」と言い換えても良い、傲慢と誹謗しても良い・・・。私が、学校通学を止めろ・・・外国に留学させろ・・・と云うのは、その親の考え、発言は、現在の日本では殆ど人々の耳に届かない・・・やっかみと羨望の幕が、その耳を閉ざしているのだから・・・。
私を含めて・・・親は、その誇りを、孤独に内に堅持しながら、己を律して生きない限り、良き子育ては不可能だろう・・・「絆」などと云う生易しいもので、子育ては不可能なのである。伝統職業の職人が、子供を継承者に育て挙げるに、どれ程の努力をしているか、現行教育systemに抗しながら、技術の伝承に、粉骨砕身しているのか・・・日本の漁師が、TVの天気図を見ないで出航して遭難する・・・その事が、論じられなくなったのはつい先頃のことである。「伝統」とは、あっと云う間に、その姿を消すものである。近代産業では、大切な要因でもあるのだが、しかし、その裏に、伝統の技術が、僅かに息づいているのである。
子供を育てる「親」は、殆ど、無知蒙昧の愚民である。20、30の歳で、何が分かると言うのだ・・・己のその頃を考えても、恥ずかしいだけ・・・僅かに、俺も努力したな・・・の自負があれば、幸せと云うべきだろうが、己が、子供の教育に真剣に向き合ったとは、口が裂けても言えることではない。子供が育ってくれたのであり、周りの「悪い奴等」が育ててくれたのであり、苛めっ子が、我が子を強くしてくれたのである。「あの時、父さんは何もしてくれなかった・・・」と、後年に語って暮れる、成人した子供になっていれば、これ以上の、私の勲章はないだろう。
教師に、学校に、苦情を申し立てる・・・それを当然と考えている親・・・monster mama、papaの醜態が、批判されない風潮も寂しいものである・・・「チクル」とは、卑しいものである。「チクル」にならない様な、学校との対話、あるいは周辺の子供との対話・・・それが、少しでも可能になるような、日常の自己研鑽・・・これから「親」になる若者に要求される、大人への「資質」でもあるだろう・・・と、私は考える。成長に「師」は必要である。しかし、「師」の方から、何処の馬の骨とも分からない若者に近づいてくることはない・・・自ら求めるか、あるいは、「師」が見つけてくれる様な自分を磨くか・・・「不幸」とは得てして、己で招き寄せるものである・・・何十年も要して・・・。
遅ればせながら、大津・中学生自殺事件が、私に教えてくれた「社会学」ではある。