病 膏盲に入る・・・・

先の「3・11」東日本大震災の惨状に懲りて、自衛隊に依る、即応的な態勢を検討する為の実験が、先日東京の都心で行われた。最大の問題は、都心に集中している昼間の人口を、如何に迅速に、安全に、帰宅させるか・・・都心における不測の事故を如何に未然に防ぐか、被害を最小限に備えるか・・・が、その目的である。
勿論、先の「3・11」では、誰も考えなかっただろうし、発生もしなかったが、テロにも似た騒動が惹起することも、警備当局には予測されたであろうし、心胆をさむからしめられた「司、局」の方々もいたことだろう。本社機能が集まる、流石は東京だった・・・と、私などは、今でも感心しているのだが、それは、行政の力もさることながら、該市民の常識ある、良識ある行動と我慢、忍耐に依るものであり、多数の企業の臨機応変な対応にまつ所が大きい・・・愚劣な市民活動家の遠く及ばないところだろう・・・。しかし、騒擾・暴動・テロが頻発していたら、状況は大きく変わっていただろう。また、コンビニ等が、襲われることもなく、終始健在であったことも、国家を揺るがす大事にいたらなかった要因であろう。日常のコンビニ強盗の頻発を考えれば、日本人の正常さの、また一味違うethosを思う。
人間は、経験に学ぶものである。いや、経験に学ぶ以外に、次の不測の事故の備えることは叶わない・・・つまり、都会という文明の中にいて、その文明が部分的にであれ破壊された時、如何なる行動が個人的に可能か・・・あるいは、それを可能にするsystemとは如何なるものでなければならないか・・・一度や二度の経験で学べるものでもないし、体制を備える事が可能であるはずもない。故に、step by stepで学び、整備して行くのが、その時代に生き、経験する世代の責務でもあるだろう。
迷彩服を着た自衛隊が、都心を歩く・・・確かに異様であろう。しかし、非常事態とは、そんな光景なのである。「非常時には、こんな風景も出現しますよ・・・」と云う、自衛隊からのmessageでもあるのだが、その重要性は、現在が平和であり、一先ず安穏な日々であるから、市民に国民に理解が可能であろう・・・政府・警備当局の判断であったと、私は理解する。
その自衛隊の行動を阻止すべく、一部市民団体が、その行動を阻み、妨害する光景がTVにあった。「何を考えている奴らなのだろう・・・」。将に「狂気」としか、私には判断できない。自らの「不安」が色々あるから、「市民活動」という「徒党」を組むのだろう。その「徒党」がまた世情を不安にする大きな要因なのだが・・・・この日の行動も、自らが徒党を組み、市民の不安を煽るための予行演習だったのか・・・彼等を駆逐する「演習」も、次の演習では加えて欲しいものである。
現在も継続されているのか、否か・・・突然に「空襲警報」がなり、shelterに、街頭の人々が避難する・・・そんな訓練に遭遇した友人が、酒を飲むと、己が自慢の如くに喋っていた記憶も懐かしい。この日の市民活動家に、爪の垢でも飲ませてやりたいものだ・・・・

福島原発の事故も、「bent」と云う、一先ずの安全装置への市民の対応が、今回事故を拡大させた要因である・・・と、私は考えるが、この事故がなければ、「原発・反対・全基廃炉」のmoodも盛り上がらなかっただろう・・・「bent」の整備を無視して原発の事故を誘因して、「原発・全基廃炉」の機運を作り上げ・・・そして、見事に成功したと見える現況である。
即応自衛隊の行動を阻止した「市民団体」・・・北朝鮮、中国に、「どうぞ侵略してください・・・」と、aleを送っている様なものである。この様な、悪質市民の排除も、良識市民の責務なのだが、静かな「良識」の普遍への努力を欠いてはならない・・・その覚悟だけは新たにしたいものだと・・・。
官僚をあげつらい、非難する・・・己のうっ憤を晴らす手段として許されないこともないだろうが、その先にあるべき、冷静な己の存在を忘れてはならない。案外と、その様な軽率さが、己の「墓穴」を掘っているのである。福島の原発事故に、私が感じないでもないことである。「文明」をしっかりと捉える視点を持たない・・・愚かさだと言っても良いかも知れない。
「山が動いた・・・」と叫んだ社会党の女性委員長・・・この時既に、日本の左翼は「病 膏盲に入っていた」のである。まだ、その夢を追い続けている市民活動家が入る・・・西部邁なら、祖先の声を聴け!・・・と、一括するだろうか・・・。