お金の使い方・・・・

ピラミッド、万里の長城、そして、奈良の大仏・・・古代の政権の、いわば「公共投資」である。
*ピラミッドの効用は何だったのだろう・・・単なる「雇用促進」だったのだろうか?・・・私は、そう考える。勿論、何某からの入知恵だろうが、それが「誰か?」の記憶はない。つまり、国家の隆盛時期の戦争で大勝利を収め、大量の捕虜を得る・・・それを有効に使えないとしたら、反抗的暴動を未然に防ぐには、彼等に仕事を与え、退屈しない日々を保証するのが、最も安全、且つ有効な手段である・・・勿論、新たな戦争を企てることも出来るが、その選択は危険を伴うだろう。しかるに、「箱モノ」を作り、役立たずのものではあっても、政権の「力」を誇示することが出来れば、政権維持への効果は大であるだろう・・・その為のピラミッドであろう。
万里の長城・・・これは明白である。「明」政権が、江南から、大量の移民を、北部に移住させた・・・番族の侵入に備える、なかば軍事要員である。多分に強制的なものだとの、そのdocumentにはあった。つまり、酷寒に近い、そして、食料の少ない北部の人口は少ない・・・勿論、住民の死亡率も高い。また、食料を狙っての、部族間、集落間(地域政権)の紛争に依る人口減もあっただろう。其処で、満州族の脅威に備える為との大義名分で、溢れる人口の興南の住民に「甘い条件」を提示して、北へ移住させた・・・満州移民を促進させた、昭和の軍閥の手法と同じである。そして、長城建設(実体は補強)が終われば、そこで定着民となる・・・万里の長城とは、極めて政策的なinfrastructureだったのである。

閑話休題・・・清朝は、満州への、漢民族の移住を制限した。此処が、漢民族に溢れると、清朝政権に何ほどかの政変が生じた時に、還る故郷がなくなることを怖れたのである・・・つまり、満州は、「空白地帯」として、清朝が温存した。ロシア、フランス、ドイツ・・・が、これに目を付けたのも無ベなるかな・・・これら列強は、中国本土の4分割統治すらも視野にいれていた。それが頓挫したのは、思いもよらぬドイツの衰退と、日本の進出だったのである・・・今日、中国東北部が安泰である事実の背後には、ほかならぬ日本の貢献があると考えても不思議はないだろう。勿論、現在は、この地の「朝鮮民族」の拡張が、かつての「高句麗・再建」運動が勃発しないかとの、恐怖はあるが・・・。金正温に肩入れして、中国世間を揺さぶる「外交」も、日本の対中、対露外交の背骨に存在しても良いのではないか・・・私は思う。
奈良の大仏・・いくら古代とは言え、こんなものを拝んで幸せになれるなどと、当時の日本人が信じたとは、私には信じ難い。支配者に、何ほどかのことを期待して、崇め、拝んだことはあっただろうが・・・また、建立した聖武天皇にしても、そこは、「働かせ・・・」て、幾ばくかの報酬としての食料を与える・・・その程度しかできなかったはずである。勿論、中間にあって、財を貯めた、今日的に云えば、企業もあっただろう。そして、そこから、幾ばくかの「税金」を取り上げる事も計算の内だったろう。つまり、仏教(仏)の御利益で、庶民・大衆に恵みが齎されたのではない。つまりは、populismにもにた、人気取り政策の一環にすぎない・・・と、私は考える。
「大仏建立のproject」は、至ってinternational、globalなものである。日本の国際的地位の向上にも寄与しただろうし、貿易にも寄与した。何しろ、各種の新技術が、大量に、輪が日本に定着する礎になったのだと、私は思う。「正倉院」とは、聖武天皇の、その誇りの象徴でもあるだろう。しかし、その「宝物」が、如何ほどまでに庶民の生活を潤し、改善したかは、即自的には疑問でもあるだろう。しかし、歴史を見れば、それが果たした役割、効果は膨大なものがある。「文明」とは、かくなるものであると・・・私は、目先の文明の「危険」を叫び立てて、祖先が残し続けた文明への感謝の一かけらも持たない、現代人の姿に悲しい物を感じる。
何を論じたいのか?
先週土曜日のBS/TBSの「コンパス」では、今回の九州中部の災害が話題だった。その中で、心強かったのは、私も、及ばずながら論じて来た「私権」の制限が、話題の中心になっていた。つまり、災害が必至だと判断される地域、常に孤立(長期の)に晒される地域、避難場所の確保が困難な地域、避難路の確保が不可能な地域・・・これらの地位の居住を制限するべきだと言う論理である。恐らく、不動産企業、あるいは、先祖代々、多額な復旧支援に消費を伴いながら・・・しかも公金依存で・・・居住を続けて来た人々の猛反対に遭うだろう・・・私には、「我儘」の一言につきるのだが・・・「故郷」とは、己の命を、己の才覚と力で守るに的した生活空間でなければならないと、私は考えるからである。
先祖代々住み続けた・・・ならば、その環境の変化に対応して、安全に住む方策を自ら講じてきたか・・・自ら、その反省があって、己の主張を展開すべきだろう。
東京・神田川(だったか、話題になったのは・・・)、その流域の両岸100メートルを、水流に解放すれば、治水の為の出費は、全く「0」で良いとの試算もある・・・と、説明する識者の意見も紹介された。災害頻発地域の方が、都市部の集合住宅に住むなら、可能なのであると・・・も。最も、大東京は、人工的には大きく凋むだろうとは想像できる。
しかし、都会に住むとは、大きなcostに守られて、住むことが可能なのである。その負担に耐えられない人々は、東京を出るべきだろう。さすれば、地方都市の「文化」にも大変動が生れ、地域に適した文化が、その地域ごとに楽しめる豊かな日本が誕生するだろう・・・・と、私は思う。
首相官邸へのdemoが好きな人は、高い住民税を払って、永田町の近くに居を構えるのも、一つの選択である。新幹線も、登りの料金を下りの料金の数倍に設定すれば、「入り人口」と「出人口」のバランスが、そのまま都市infrastructureへの貢献になる。
地方都市も、人口の流通性をsmoothにするためには、極力集合住宅化を計り、一個建ての固定資産を大きく高額にし、庭などは、贅沢品として、供託への運動を促進し、私有には高額なpenaltyを課すなどして、都市空間の快適さえの技術・方法に資するべきだろう。言うなれば、「財布」の中には「貧富」の差が大きくても、生活空間の「差別解消」を計る・・・そんな都市の実現であってほしいと、私は思う。
投資金額は膨大である。将に「列島改造」である。100年国債の発行で財源は確保できるだろう・・・勿論、その償還には、物価高騰の要因も加味したものでなければならない・・・子供への遺贈への相続税の免除も考慮されねばならるまい・・・「不平等」、「格差拡大」の要因も孕む国債である。しかし、発効時は替えなくても、その国債を市場で入手すべく個人の努力もまた、国家・国土改造のenergyである。可能な国民の財力で、災害の破壊から「国土」を取り戻す・・・22世紀、23世紀の「国土復興運動」・・・せめて、その様な「ご先祖」でありたい・・・私の願望でもある。
ピラミッド、万里の長城ベルリンの壁)、巨大な仏像・・・そんなものは、一つの時代の知恵ではあっても、今は、「過去」である。我々は、形を変えただけの「過去」を現代に実現しようとの愚かな行動をしようとしていないか・・・今回、災害で、今一度、確認しなければなるまい。地球も、宇宙も、日々に変化しているのである。その変化が、我々に何を齎しているのか・・・それに心を動かすのが、「哲学」である。郷愁・感情・・・・諸々の、心に内に去来する事ごとを、過去を踏まえながら、一寸先の、見えない未来に心を通わす・・・議論・討論・・・「心」とは、己だけのものではない。他人の心が届き、過ぎ去るのが、私の心なのである。その一部が、未那識(七識)、阿頼耶識(八識)に収まる。其処から、私らしい主張が、多少は可能になる。心を広げるとは、そんなことなのである・・・自戒で、このブログを終る。