オスプレイ・・・・

国防の軍備について論じる力は私にはない。「オスプレイ」についても、その配備の必要性を、国防的に、政治的に論じることは、私には出来ないし、するつもりもない。つまり、一端、国防力の虚をつかれたら、そこに生じる大惨事は避けようもないだろう・・・民権も人権も、紙に書いた念仏、空論にしかならないことは、先の敗戦で、生れ故郷だと思っていた北朝鮮から脱出しなければならなかった体験にも思う。「日本人として育てる・・・」との父の言葉があって、現在の私があるのだが、そこには、戦時体制、軍事政権体制の中にあっても、静かに身を縮めて状況を判断していた父の良識のしからしめる決心ではあっただろう。五月の日本海は、時として大きく荒れる・・・現実に、釜山から仙崎まで、その夜の航行の海の荒れ様は、今でも、それを表現することは難しい。輸送船の舳先が、波の中に深く潜り込む・・・その光景だけが、私の記憶である。父に、その無謀を正した時の返事は・・・「運だ!」と一言、そして、「日本に還る・・・」の決心は、「運」とは別のものだ・・・運は、常に、人間の行動、思考に並行して存在する・・・それだけの事だ!、と、言い切った。「国防」と云うも、国民・市民の夫々が、その生きる権利を政治に求めるだけでは、存在し得ない「論理・意識」である。特に、この国の、老人、女子は、幕末の坂本龍馬勝海舟などが、呆れかえった、長崎の漁民の様な意識にある・・・オスプレイにしても原発にしても、「我儘」の心底が露呈するのを避け得ない「弱み」でもある。
北朝鮮、中国・・・日本が自ら播いた種に生れた、今日の「国家危機」である。誰を恨むことも、誰の所為にも出来るものではない。唯、「未来は、見通せない!!!」と云う事である。その時の判断が、明日を未来を決める・・・自分の判断で「見る、知る」ことの可能な距離・時間を、現状の情勢と勘案して判断する・・・それが出来れば、一生は安泰であるか・・・しかし、それには、環境・・・政治的、経済的、国内的、国際的・・・・が許さない限り、個人の思考のままに変化するものではない。
オスプレイ・・・その状況の中で誕生した「武器」なのである。経済性から生れたと言うから、現況の、軍事的世界。極東の関係も、経済性を考慮するまでに安定して来た・・・のかと、考えられないこともない。いや、そう考えるべきなのであろう。共産党・一党支配が、永遠のものではないことは、ロシアが証明してくれた・・・民度の高いロシアにして、あるいは、多少の貴族の存在があるロシアにして、百年を維持出来なかった・・・発展等、思いもよらないものだった・・・憧れて、ロシアに逃れて、夫(恋人)を惨殺された俳優もいた・・・私は、人間とは、それほどまでに愚かなのかと思うが、それを口にすることはタブーらしい。中国、北朝鮮の暴発は、その国民との意識の外での「政権の暴発」で露呈するはずである。そのことを意識の外に於いてオスプレイを議論することの虚しさ・・・ワイドショーのtalent司会者の妄言に惑わされてはならない・・・。
オスプレイは危険な機械である・・・・と、私は断言する。そして、程なく製造が中止され、軍備としての価値を失い、基地から姿を消す筈である。理由は、盲目的な、学者論理、浅知恵のsystem感覚で実現した、愚かの至りの装置である。
何故なら、左右のbalance・・・これは、前後のbalanceに比較出来ない程の危険を孕む。前後のbalanceは、その前身の推進によって補正が可なりまでは可能である。しかし、左右のbalanceは、その補正の方法がない。しかも、左右の位置で、その機流、空気の諸条件が同じ、一致しているとの保証はないのである・・・具体的には、風が右から吹くか、左から吹くか・・・そんな単純な条件の違いでもbalanceは狂う。そして、その環境のbalanceの変動に即座に対応、予知することは不可能なのである。一般の大型航空機が、あれほどの大きな「翼」を備えていても、そのbalanceを常に平衡させることが不可能なことからも容易に想像がつく。
Helicopterが辛うじて保つ「安定」も、その動力の所在が「単」だからである。制御のsystemを其処に集中させることで、飛行環境の変動に対応を可能にしているのである。また、前後の羽を持つhelicopterも、その推進力で、その左右のbalanceの変動を吸収して安全な飛行を可能にしているのである。
手先の不器用な人間なら、簡単に理解できる、こんなことが、何故技術者に理解できないのか・・・実は、理解できているのである・・・と、私は想像する。しかし、彼等は、理論的には可能なその安定性を・・・密度が一定にそて、変動しない条件で可能なそのsystem・・・を、実現したいのだと思う。論理的には可能だろう・・・しかし、その論理可能な条件、状況を作りだす論理、systemへのaccessは殆ど実現していないのだと、私は想像する。「あとは、やるっきゃしかない・・・」何処ぞで聴いた様なphraseが、私には聞こえてくるのだが・・・あるいは、日本の技術者に来たしているのかも知れない。もし解決の方法があるとしたら、真ん中にもう一つ、旋回翼を付けることだろう。そして、左右balanceの修正、修復を、この翼に持たせる・・・不格好の極みだが・・・恥を捨てれば可能であると、私は思う。アメリカの技術者が、そこまでバカか、否か・・・私は問わない。