柔道の分かり難さ・・・と、泣き寝入り

全く経験のない、しかもスポーツ音痴の私が云う滑稽さもあるのだが、その勝負が見え辛い。また、ボクシングの様に、手数と、その有効性の判定によるポイントなら、もう少し分かりやすいと思うのだが、幾つかの「大技」を除いては、全く分からない。また、寝技に持ち込もうとする選手を、審判が制して立ち技を命じる・・・「何故だ・・・!」と思う。
高校生の柔道や、国体の柔道では、私でも可なりな程度楽しめるのに・・・と、不思議である。「講道館柔道」と、世界を舞台の柔道では、そのルールが違うのだろう・・・そのルールを知らない「お前」が悪いのだ・・・と、云われれば話は終わるのだが・・・どうも、日本人の「乞食根性」が、その根底にあるのだろう。
そもそも、柔道がオリムピック競技種目になったのは、「東京大会」から・・・当時は、「金」が、喉から手が出るほど欲しかった日本である・・・今に思えば、誠に「卑しい」・・・と、思うのだが、その時以来、柔道の変形を強いられている実体を反省することもないのが残念である・・・あたかも、柔道が、古代ギリシャの競技であったかの如くに・・・。韓国の「テコンドー」が、その競技ルールで、殆ど問題を生じない・・・彼等の矜持が、韓国・テコンドー以外のruleを許さないからだろうと、私は思う。また、その審判の養成も、韓国自身が深く関わって、韓国テコンドーのruleの徹底に徹しているからだろう・・・と、これは、想像する。
片や日本は・・・国内競技は、「講道館精神・講道館rule」で行い、その中での勝者を国際舞台の出場社とする。恐らく、選手には戸惑いがあるのだろう・・・と、私は想像する。国内予選を終って、飛行機の中で、国際ルール、Olympic ruleへの頭の切り替えを行っているのだろう。そんなことを隠蔽したまま、mediaは、「金、きん、キン」を騒ぎたてる。辛うじて、銀、銅に終わった選手にmedalistの称号を与えて、根本的な問題を抽出、報道しようとしない・・・私は、これぞ屈辱、日本民族としての恥辱であると思う。
Olympicも、国の得意な文化を全面に押し出して「金」を稼ぐ時代ではない。言わば国技として、あるいは、文化を担う民族の矜持として、駄目なものは「ダメ!」と駄目だしをするべきだし、「金」欲しさの参加は自粛すべきであろうかと思う。
国際大会が欲しければ、大相撲の様に、自ら人材を世界に求め、そして、伝統文化の精神にのとって、その運用・運営を行い、伝統の維持に努めるべきである。なし崩しにrule変更が行われ、「金」欲しさに、そのルール変更を認める様なことは、即刻中止すべきであろう。
「泣き寝入り・・・」。これも、我が日本の「文化」であるが、そろそろ、この誤った・奥床しさからの脱却を意識すべきではないか・・・日米外交も日露外交も、はたまた、日韓、日朝、対中国外交にも、政府を責める我々の自覚として問われていることに、我々も、気づくべきだし、気づいている人々は、その意志を明確にすべきであろう・・・ツイッターも、E・mailも、その使い方で、自らを辱め、社会を傷つけ、自らの不満の中に憤死させられる環境を作りつつある・・・「今、其処にある危機」でもあるのだが・・・・