首相官邸前・demoに感ず!

主催者側と警備側で、その数が大きく異なるのは、何処の国でも同じであるし、我国のdemoの歴史の中でも珍しいことではない。問題は、その数・規模で、要求の強さを計ろうとするmediaの卑しさである。「大きな音がしているね・・・」と、野田総理。「後楽園球場には、沢山・・・4万人くらいだったか・・・人が入っている」と、岸総理(だったと思う)。その感覚の方が正しいだろう・・・民主主義と云う理念をbaseに考えれば・・・。この「60年安保」・・・岸総理を引きずり下ろしたまでは、それなりのdemoの効果だと言う評価はあるが、当時、社会人5年生の私の仲間の間では、「この戦犯首相が、長く政権に座っておれるわけがない・・・」との評価であり、彼の、「引き際を決めるtiming」に利用されただけだとの結論だった。何せ、鉄鋼の製造現場では、飛躍的な技術革新・・・当時はまだ輸入技術で・・・は既に始まっていたのだし、古い設備の「休廃止」のtimingを計るのに苦労をしていた時代だったのだから。
そんな空気を察する能力のない、左翼労働組合は、ストばかりを連発していた。その先頭が、炭労であり、未だ二十歳半ばの青年にも、その阿呆らしさは見えていた。傾斜生産に栄えた炭坑の面影は全くなく、闘争を繰り返しながら、片や「カンパ」の行脚を労祖が行っていた・・・水俣では、その被害が広がっていた、近くの「湯の児温泉」では、奇病の発生が伝えられ、佐賀の黒髪山の近くでは、小児麻痺の多発か・・・との噂も聞いていた。一つの時代のうねりが大きくなっていたのである。地方の「高卒・社会人」には、国会議事堂前の、学生を主体にしたdemoが、何となく阿呆らしく見えていたのも、無ベなるかな・・・demoの現場では、地方の警察から派遣された、主として、高卒・警官の、demo制圧が激しかった・・・進学等は夢のまた夢だった「高卒・警察官」である・・・半ば「口減らし」の就職であり、厳しい訓練に耐えた日々のうっ憤を晴らすに格好の舞台ではあった・・・と、当時の体験者に聞いたものだ・・・その制圧の対象となった、当時の学生・・・もう、企業の中で要職にあったのだが・・・にも、同じ話を聴く事が多かった。
社会党共産党も・・・demoを繰り返しながら「衰退」の道を歩んだ・・・理由は、ストを繰り返しながら、その裏で、労使協調と云う陰謀を企て、その甘い汁の中で安穏としていたからである。つまり、甘い水に溺れたと言っても過言ではない。その歴史は、北九州市の「政治的・歴史」を編纂すれば見えて来ることである。その、最後のstageにいるのが、現・北橋姿勢である。彼が、何事にも、慎重にことを運ぶ裏には、彼のこの街の抱えた「歴史」への配慮がある・・・彼らしい。衆議院・議員に立候補した時は、完全な「落下傘・候補」だった。当選は、労使協調の選挙である。私は、義父の関係で保守系候補を応援しなければならない立場にありながら、彼のビラを配る為に、当時の広い選挙区を駆け回ったものである。後に、鉄鋼業の、経済的比重の縮小を微妙にcontrolしながら、多くの問題を孕みながら、現況・北九州市を有らしめている、その理念が、この歴史に語られて今日がある・・・と、その姿を目にしながら過した日々を懐かしく回想している。その間に、「左翼」は、確実に、その力を失い・・・今や回復の気配さえない。東大・全学連から、謀略で持って、この北九州に住みついた、落下傘・共産党も、いつの間にか消えた。先頃の、震災瓦礫の受け入れに、派手なperformanceを見せた愚衆もまた、この流れにあるものなのだろう。随分と汚れた「流れ」になったものだと、私には感慨である。
Demoがdemoで終わる限り、政治への影響はない・・・但し、その神髄に、何がしかの切実な願いが、demoに参加しない絶対多数の人々の「心」を打つ時を除いて・・・。しかも、今回の官邸前のdemoは、人間の、生の言葉で集まったものではない。相手に唾を吐きかけながら、口臭を浴びせながら、切実に訴え、訴えられて集まった人々ではない。SNS,ツイッターと云った媒体の中にある、sensationalな文言を読んで、集まった、言わば愚衆なのである。その様子をTVに見ていて、scramを組むでもない、参会者同志の対話があるらしくもなく・・・単なる、愚衆が群れているだけ・・・何とも寂しい風景である。
また、各地の軍港に寄港する原子力空母・潜水艦への反対demoは、数は少ないが、日本各地から集まっていると言う実感が、無関心層の人々にも訴えるものを持っていた。列車を乗り継ぎ、バスを乗り継ぎ・・・自家用車すら少なかったのではなかったか・・・地方の電車、diesel carの中で、彼等の「汗」の臭いに、その危機感を煽られた人々も多いのではないか・・・同調する私ではなくても、彼等の真面目な危機感には感動したものである。
ヒットラーは、最初からヒットラーであったのではない。小さなCaféだったか(記憶では)、飛び込みでブッタ一発が受けたのが切欠だった・・・その第一声に危険を感じて、小さな新聞に記事を書いた記者もいるとか・・・しかし、その後のヒットラーの行動を制約・制圧するだけの力にはならなかった・・・。なにせ、ユダヤ人の中にすら、多くのヒットラー支持者、崇拝者が、いたのだから・・・。当時のドイツには、ワイマール憲法が存在し、言わば、民主主義が確立した国家とみなされていたのである。だから、チェンバレンを騙すのも、赤子の腕を捻るに等しかったのである。その原動力は、民主主義のsystemを無視した、愚衆の熱狂であり、子供達を煽り、ヒットラー崇拝者に仕上げた、中学校の教師たちだったと言われる。ちなみに、軍人以外のナチ党員は、中学教師に多かったと言われる。
今回、官邸前demoがそれ程の評価を得ないのも、危険視されないのも、一つには、鳩山由紀夫が参加しているからだ・・・と、云う御仁もいる。何故なら、世界的な痴呆政治家としての評判が高いだけに、国民の間でも殆ど孤立しているからである・・・気が付かないのは当人だけ・・・。
先の土曜日の、BS・TBS−コンパスでも、これが、次の選挙の一票に結びつくか・・・相当に疑問視されていた・・・勿論、「大きな影響を与える・・・」と云う論者もいたが・・・。
私の街(福岡県・福津市)でもそうだが、地方議会ですら、市民の声を聴くsystemは存在しない・・・議員の多くは反論する(反論にならない)が、年間に数度の議会・・・夫々の議会で、何が議案として提出され、どの様なscheduleで討論されるのか・・・つまり、誰が、何時、どの様な質問をするのか、討論をするのか・・・を、事前に、市民に知らせるsystemが存在しないのである。傍聴席はある・・・立派な・・・しかし、その日の議案、討論する議員を知るのは、その傍聴席に入る入口に置かれた「resume」である。つまり、議場に足を運ぶまで、辿りつくまで、何が討論され、誰が発言すのか分からない・・・「議会だより」は、議会が終わった後に、各戸に配布される。つまり、「後の祭り」である。先日の「議員定数・削減」議案の否決(多分に八百長臭い)も、その「議会たより」で知った始末・・・
議員にmailをすると・・・手紙でも同じ・・・「会ってお話しましょう・・・」と、ヤクザの台詞に似た言葉が返ってくる・・・恐らく、言いくるめるを越えた、合法的恐喝で、発言を封じようとの意図が見え見え・・・私は、議員を説得しようとするものではない・・・つまり、次の一票を見据えて、議会内での討論の言葉、mannerについての資料が欲しいだけなのである。選挙と云うsystemが、個人対個人の関係の中で成立する・・・と云う誤解が、あり、可能な限り公正なsystemで選ばれた議員の行動を監視する市民のliteracyで、支えられるべき・・・とう、理念が放擲されているのである。
官邸前のdemo・・・次の選挙で棄権でもすれば、それは笑いごとではない・・・しかし、私は、現実的には、彼等は投票場に足を運ばないだろうと想像する。市政に、日常は辛らつな批判をする御仁が、得てして「棄権する」・・・そんな光景が周りに、余りにも多いから・・・・。
One issue・・・one word・・・literacyの過剰な不足であり、その集まりを愚衆と呼ぶ。かつての日比谷公園の騒擾が、1945年8月15日の原点である。宮城に「米よこせ」と押し掛けた群衆の愚かさ・・・ヤミ列車の取り締まりのなかで、、その様子から「お目こぼし」をした、経済警察官の有り難さに感謝する人は、まだ多く生存する・・・私も、その一人。宮城前広場のdemoとの違い・・・戦後の「左翼」の凋落を語る時の、私の教科書でもある。「一見・正義」の己の中に潜む不正義に気づかない愚かさでもあるが・・・今、76歳・・・「バカを相手の時ではない・・・」と美空ひばりのphraseを繰り返して口ずさんでいる。