トルーマンの孫の長崎訪問に思う・・・・

戦争とは何か・・・・私に答えはない。ただ、9歳の夏に、己が生れ、育った場所が、父と母の生れ育った国でもなかったし、家族が住み続けることが許されない・・・道で出会う朝鮮人の、やさしい叔父さん達は、ここに居れば、蜻蛉取りも出来るよ!、と声を掛けてはくれたが・・・事を、誰も教えてくれなかったが、雰囲気から知った。そして、「虜囚」としての生活、そして、「奴隷」としての生活の、9ヶ月を強いられ、命を賭して、日本海に漕ぎだし、アメリカ軍に救われた。父達が、アメリカは助けてくれる・・・を信じたのは、北朝鮮に駐留していた日本への全部が、根こそぎシベリアに送られる・・・抑留・・・光景を目の当たりにしていたからであろう。勿論、38度線以南の状況は、噂以上の真実として伝えられていたのだと言う。北朝鮮、満蒙から、数万人の日本人が、何の情報も持たずに、知らずに、故国を目指したのではない。それが、今日まで、一般に知られないのは、それを知られれば、当時の政府、軍部への怨差は、計りなく深まるからである。其処にルーツを持つ、政治家は、結構な数存在するのではないか・・・トルーマンの孫が、長崎を訪れた・・・と、云うnewsに思ったことだった。父の、祖父の「罪」を背負って中国を、東南アジアを落とすずれている、日本人の子や孫が何人いたのだろうか・・・何人いるのだろうか・・・父にとって興南の地は、約20年の己の人生の成果を剥奪された「地」である。この地の観光(故地訪問)に誘われた時、言下に拒否した・・・そして、私にも・・・「軽率に訪れるな!」と、静かに云った。帰国(脱出)の日の夕方までお世話になった、かつての部下へ、「お礼の言葉」の一つも云いたかったであろうが、その事を質すると、「どんな言葉があるのか・・・」と、その目は厳しかった。
被爆者は云う・・・「原爆の正当性をアメリカ人は、今日尚主張する・・・・」と。「原爆」は、一つの武器に過ぎない・・・そして、爆撃機による・都市への無差別絨毯爆撃の効果が疑問視されることで、開発が急がれた武器であり、その有効性は、その後の「戦争」の形を変える・・・攻撃の実効性を挙げ、戦争を短期で終わらせる、国力消耗戦の時代に即応した武器として評価されたのである。先の大戦に先鞭をつけて「敗北したこと」が正義なら、満州帝国も、南京攻略も重慶への無差別空襲も「正義」だろう・・・しかし、「正義」とは、個人的な理念として、それが承認される為には、その個人の属する「社会」の、人類の希求する「平和」への希望と一致しなければならないのではないか。
長崎も広島も、「軍港」である。東南アジアへの侵攻も、中国本土への侵略も、また、また満州帝国と云う傀儡政権の謀略も・・・この二つの「軍都」に始まることを私達は忘れてはならない。
トルーマンの孫から、謝罪の言葉は聞かれなかったらしい・・・不思議ではないだろう。何故、沖縄で、硫黄島で、多くのアメリ将兵が戦死しなければならなかったのか・・・日本兵、日本人の犠牲は、自ずからしからしめるものであろう・・・これも残酷な言葉だと、私自身で思う。
今、尖閣列島に中国が領有権を主張し、韓国が竹島を実効支配している・・・勿論、この小さな「岩」の如き島の価値は、その海域であり、あるいは、その地下の資源であろう。しかし、それを紛争化しない工夫が、日中韓の努力である。何故なら、アメリカが、安保条約の範疇で日本に駐留する限り、日本からは手が出せない、あるいは、その「謀略」を行う気遣いはない・・・彼等は・・・東南アジア諸国を含めて・・・日本列島からのアメリカの撤退は、全く望んでいないのである。寧ろ、望んでいると言うべきだろう。日本人が、「平和呆け」を装って、軍備の更新・・・実質的な増強を、経済力に任せて行うかも知れない・・・彼等の恐怖を忖度することも忘れてはならないだろう。中国の経済力も、ほぼここまで・・・体制が変わるまでは・・・と、云うのが、大方の世界の識者の云うところでもあり、統計学的にも・・・・と、云うのが常識らしい。「箱モノ」で、世界を凌駕しているかに見える中国・・・その箱モノを、被支援国家が自ら維持・発展させることが出来れば万々歳だが・・・それが可能なら、それは中国にとっては脅威となる、中国に「負んぶに抱っこ」の負担になれば、永遠に中国を苦しめることになる。
列強の「植民地政策」の成功に羨望した日本の政治・外交は、見事に破綻した・・・列強が、植民地経営から手を引いた所以である。今、中国は、そのパンドラの箱に手を突っ込んでいる。日本の地勢的価値は、それを高見から眺められることなのである。日本の背後を守るアメリカ、そして、西欧列強の過去の恨みに執着してはならない・・・高齢者としての良識ある言動をとるべき・・・と、私は思うのだが・・・100歩の過去(歴史)と、半歩の未来・・・高齢者の知恵でなければならない・・・私の確信である。
日本の国土の何処であれ、原爆投下は、中国・蒋介石政権の悲願であった。宗一族の悲願だったし、蒋介石の悲願でもあった。トルーマンの孫が、中国を訪れれば、彼は、宗・将一族の墓前に、今日中国の繁栄を報告し、祖父の英断を誇るであろう。
「戦」は一過性のものである・・・否、一過性のものとして、その後の賢明さが、民族・国家の命運を悲劇にも誘えば、希望にも誘う・・・一瞬の出来事・事件に関わったことをして、あたかも永遠の罪の如くに怨差し、己の正義・・・ありもしない・・・を言い立てる。これほど惨めなことはない。
歴史は、あざなえる縄の如し・・・悪の裏に善があり、その善が悪を支え、悪が、善を支える・・・そんな歴史の中に何を学ぶか・・・いや、学ぼうとするか・・・それが、その先に明るい未来を想像するか、怨差の暗い未来の中に、自らを埋めようとするのか・・・トルーマンの孫に誤らせる、卑しい根性こそが、それを求める高齢者の、悲惨な生涯を悲惨なままで終わらせるものであり、学ばざる己の負うべき責任でもある・・・と、私は考える。