韓国・少女の像に思う事・・・・

両国とも、古代日本が、その建国のお手本にした国家・民族である。国家もさることながら、民族が、総白痴化し、此処までの無頼になるのかとおもうと、悲しい。67年前までの、我国の無頼ぶりも、ここにそのrootsがあったのかと、思わずため息がでる。しかし、考えてみると、何れも、侵略国家として名高い歴史を、その中に秘めている。ただ、今日の「白痴化」の過程で、そのvitalityを失っていた・・・それを発揮するに足る「文明」・・・悪しき文明だが・・・への距離が遠すぎた・・・と、云う事に過ぎない。国家・民族の隆盛も衰退も、一つのサイクルし、歴史への造詣を知らない民族だから、現状が、そんなに長く続くとは思えない。
韓国は、一国の宰相の、宰相らしからぬ行動だから、何をか云わん・・・「再選されることがない」だけが救いである。つまり、「負け犬の遠吠え」・・・ただ、その遠吠えに同調する若者と、無見識な中年、老年が多いのが、騒がしい。「従軍慰安婦」等と云うものは、日本人も可なりの数いたはずである・・・勿論、個人が喜んで「慰安婦」になったのでは絶対ない・・・甘い言葉で、僅かなお金をちらつかせる小賢しい悪徳商人によって、強制されたものである。ただ、彼女達に、そのお金で、父や母・・・時に病床にあることもある、そして、弟や妹の生きて行く為に・・・我が身を犠牲にした・・・今の日本に生きる私達が感謝しなければならないのは、ある意味、彼女達の犠牲で、開国以来の列強との距離を縮める、国民的努力が成就して今日があると言う事である。
時に、個人の過去を暴いて雑誌の売り上げを伸ばす、不届き編集者がいないでもないが・・・概ね、その過去の経歴が、暴かれることなく、ある意味、内心に忸怩たるトラウマをもちながも、誇り高く「市民」として大凡のかたが、殆ど、その生涯を終えようとしている。私は、この現実を、昭和30年に社会人になっていらい、「俺も貢献したのだ・・・」と、誇るものである。その後の、「赤線」の女性達も、大凡、その生涯を終えるころだろう。忘れてはならないが、それを追究し、暴露することは愚かなことであり、寧ろ、歴史の中に埋没させ、可能ならば、焼却すべきであろう。「語り部」が語らない歴史もあることを、この国の市民は理解できる品格を有しているのである。
歴史には暴いてはならないことがある・・・個人的な、強制された事柄ですら・・・、またそれが、大きな、偉大な貢献であったしても・・・である。それが、その環境を生き抜いた個人への尊厳である。
韓国の「少女の像」・・・日本人への恨みを忘れないことには貢献するだろう・・・しかし、それ故に、韓国人の心を閉ざすことへの貢献もすることになる・・・つまり、後世に、永遠に解決の方法がない、永遠のトラウマを残すことになる。デンマークコペンハーゲンの「人魚姫」の像とは、似ても似つかぬものであり、永遠に、後世に「闘争」を呼び掛け、過去の韓国(朝鮮王朝)への冒涜となるものであろう。例えば、この像を、日本人が、深甚な謝罪の気持ちを込めて、建立したとしたら・・・思うだけも「ゾーッツ」とする筈である。寧ろ、ワンゴン、セジョン等・・・歴代朝鮮王朝の、偉大な王の事績を、今一度、記憶の底に探る様な「像」が建立できないものか・・・朝鮮の歴代王朝の初期には、必ず、膨張主義的な臣下が、大きな夢を実現しようとする・・・また、中国の歴代王朝は、朝鮮半島への干渉を、常にその政策とする・・・ドラマ・世宗は、私の大好きなドラマである。その王朝に陰りが見え始める時・・・・現代の李明博の行動に、韓流・時代劇ドラマを見る思いがする。