尖閣列島・・・浪高し・・・戦う高齢者の出番か!

尖閣列島 浪高し!「一戦」を交えることになるのですかね。今、76歳・・・銃を持つ事もなく生涯を終わるのかな・・・日本人に生れて、生涯に銃を持たなかった、貴重な世代になるのかな・・・そんな事を思いながら、戦後の政治家に感謝しながら、戦後に散った兵士たちへの感謝を絶やさない覚悟の、私の生涯ではあったなぁ・・・と、感慨は深い。
昭和30代の中ごろだったろうか、私の現場(四五分塊工場)で、「快削鋼」なる鋼種の圧延が行われることになった。その鋼種は二種・・・一つは、異様に「硫黄(S)」の成分値が大きいもの、もう一つは「燐(P)」の成分値が異様に大きいもの。圧延指令書には、この異様さの問いへの返事は軽々しく行わないこと・・・との注意書きがあり、圧延processの中で発生する「圧延屑」は、厳密に「分別」が命じられていた。50歳位の作業員が、「監督さん・・・これは“砲弾鋼”ですぜ・・・」と、耳打ちしてくれた。戦中に何度か経験したのだと言う。つまり、この素材から「砲弾」を製造する時の便利の為(切削速度を上げることが可能)と、炸裂した時の効力を増す為に、非常に脆い鋼材になっているのだと・・・と、説明してくれた。「戦争が近いのかも知れませんぜ・・・」とも。
硫黄や、燐を、普通鋼の数倍も含んだ粉塵(鉄粉)の中に作業者を晒すことは極力避けねばならない。上司と相談の上、作業中は、作業室から出ない様に・・・そして、shiftが終わったら、最も近い出口から現場を離れる様に・・・と、一人一人に口頭で伝え(命令・指示)・・・作業日誌にも記さなかった。41年間の現役生活の中の、最も強烈な記憶である。圧延は、その一回のみ、数本の鋼塊だけだった。戦争も、どこにも勃発しなかった。尖閣列島・・・日本の何処かで、「戦争の準備」が、ひっそりと行われているのだろうか・・・今、戦争が始まったら、召集令状は、まず50歳以上からだな・・・盃を傾けながら、そんな話をした記憶がある。若い力は、computer戦争(ボタン戦争)に必要な人財だろう・・・現場で、打ちあうのは、中年、高年、老人でも間に合うだろう。足が悪くても、目が悪くても、難聴でも、戦争は出来るだろうから・・・と、若い人より、老人に、進んで死んでもらう・・・俺達も、その覚悟が必要だな・・・と。人間の「生き甲斐」と「死に甲斐」・・・実は紙一重。先の失敗を繰り返してはならい・・・!