「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから・・・」;

「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから・・・」;広島の原爆記念公園の、石碑の銘文である。「謝るのはアメリカだろう・・・」との声は多いのだが、この文言を考案したのは。旧制広島高等学校の、鬼の綽名で文科生に最も畏怖された「雑賀教授(英語)」である。彼は、真珠湾奇襲の報を聞いた時、廊下に飛び出して、頓狂な声で「万歳」を叫んだそうだ。人間に未来を見通す力はないが、しかし、彼のこの興奮が、当時の日本社会の興奮であり、悲劇となって、我が身に降り注いだ時、その罪は「軍部・軍人」に着せられ、原爆を落とした罪は、アメリカに要求した。我々日本人は、無辜の犠牲者に過ぎない・・・故に、犠牲者に捧げる愛悼も、簡単に「原発批判」に変身してしまう・・・この軽率さが、別の顔では、竹島にも尖閣列島にも無関心になるのである。老人は若者を責めるが、なんのことはない、老人が、高齢者が、無責任なのである。戦時中は、言論を封じられ、demoを禁じられた・・・しかし、無責任な言論、demo、もっといえば、無責任な無思考の結果でしかないのではないか・・・せめて、私は、私の心に問うて見たいと思う。
半藤一利・・・の「真珠湾の日」は、彼と同郷である「山本五十六」への愛悼の一冊である。日米が戦うことの不毛を説き、偶然にその地位にあった(左遷の結果)が為に、真珠湾攻撃の「主」足らざるを得なかった山本五十六・・・早期講和の悲願を夢のまた夢と化さしめた「戦果」は、悲劇と言えば悲劇であった。また、宣戦布告の、アメリカへの手交が「一時間」遅れた・・・外交権の実体を軍部に奪われていた外交官僚(・・・と、私は考える)の無気力の無さしめるものではあった・・・もとより、山本五十六の胸の内を知る由もない。
戦後に「平和主義者」を標榜する識者、評論家、文学者、詩人、画家・・・が挙って(大政翼賛会歓喜の声をあげ、その名を連ねている。また、原爆には、中国人民の怨念の齎したものでもあった。原爆投下の直前まで、宗一族、蒋介石は、一日に数十通もの最速の電信を送り続けたと言う。韓国、中国は「戦勝国ではない・・・」と豪語した戦後の外交官もいたとか・・・その心構えは、私も評価したいと思うが・・・敗者のマナーとは・・・考える夏ではありました。