「O157]のこと・・・・

「疫病と世界史」・・・表題に魅かれて手にした一冊。存外に面白い。結構、文章が晦渋で、読み辛い部分もあるのだが、訊問的な歴史にたしょうなりとも、自分なりに理解がある部分は、面白く理解出来る。
例えば、黄河流域に栄えた、中国・古代文明。常に「川底」を上げる、上流からの黄土。人力で排除することは叶わず、結局、堤防を高くする以外に、都市、農地を守る方法はない。ちなみに、中国の古い文献(五賢帝の頃と云われる)には、堤防を高くする治水は「愚」であると述べているとか・・・しかも、中原にかかる前で、大きく北方に湾曲する、厄介な「河」である。つまり、上流は雪解けしているのに、その湾曲部の北方は、まだ氷結したまま・・・当然、大洪水になる。中国古代都市・西安が、内陸部にあることも理解できないではない。因みに、北京に首都を構えたのは「元」・・・北方民族である。
何故、長江流域に古代文明が栄えなかったのか・・・それが、「疫病」の所為なのである。疫病を人間が克服するには、一定程度の人口が生き延びてかのうであると、著者は云う。長江流域の地に派遣された役人は、例外なく短命もあったらしい。そして、人間は、未経験の疫病に弱い。その実例が、16世紀のコルテスによるアステカ滅亡・・・スペイン兵には免疫になっていた「天然痘」で、アステカの人口が、短期間に激減した。
水田耕作・・・長時間を水の中に足を浸して行う作業も、人間を襲う疫病から生き残る人間の増加で可能になった文明なのである。疫病もまた、疫病が、その宿主(人間)の中で生き伸びないと、自らも、消滅してしまう。従って、あるサイズの宿主が必要になってくる・・・恐らく、日本列島への「水田耕作」も、そう単純なものではなかったのだろう。列島の各地に存在する、風土病とも言うべき疫病との闘いと協調の結果として、この列島の文明になったはずである。
そこで、「O157」・・・先には「カイワレ」が疑われ、今回は「浅漬け」が、真犯人らしい。そして、原因は、野菜の洗浄が不十分だった・・・と云うのが、現在の所の定説。私のかみさんも、「一枚、一枚、丁寧に洗わないと危ない・・・」と宣う。「浅漬け」製造の段階で、そんな事が可能か、否か・・・私には判らないが、「浅漬け」そのものが、この風土の中に、商品化されてはならない「品物」だったのではないだろうか・・・と、私は考える。漬物は、たっぷりと塩を使い、十分に発酵させる・・・キムチも同様。古い文明らしく見える「浅漬け」が、日本人の、長い歴史の中で培われてきた知恵とは、似ても似つかぬものであったと、謙虚に認識すべきだろう。