南海トラフの恐怖・・・・

南海トラフが明日にでも動き出しそう。3X万人が犠牲になると言う試算だが、そんな数字が何の役にたつのだろう。また、気象庁、行政は、どんな心算で、そんな数字を誇張するのか。犠牲になるのは、あくまでも個人である。そして、「私」を犠牲にしても守りたい命が、子供の命であり、家族である。つまり、守るべき「人」が、誰であれ、守りたければ、一億年に一度の大津波からでも、護る覚悟が必要なのだろう。
先の、東日本大地震・大津波でも、歴史の中に、先人の警告があり、地域の彼方此方に、その警告の石碑が残っていた。しかし、誰も見向きもしていない。民主主義とは、個人の自由を保障するが、「考えない個人」の命までをも保証するものなのだろうか・・・該大震災は、そんなことを考えさせてくれる。つまり、津波が心配で、毎日「沖」を眺めてくらすより、一巻の書に、先人の警告、知恵を学ぶ姿勢である・・・政府を責めるのは、「天井に唾」の愚行に等しいと覚悟すべきなのである。
南海トラフの動きに連動する大津波は、30mを越えるとか・・・・恐らく、地殻の変動も大きいのだろう。地盤沈下液状化の可能性を考えれば、「地下・避難」と云う事も考え難い。残るは「高地」のみである。その高地は、殆どが「私有地」であろう。地権者との交渉の間に、大津波が襲う可能性だってある。さりとて、「国有化」には、数十年の時間を要するだろうし、地権者の強欲が、避難場所の設定や、其処の永住かへの大きな障害になるはずである。南海トラフの動きよりも、人間の「心」、「覚悟」の方が問題であろう。
また、情報(警報)が発せられて、非難するまでに、何が障害になるのか・・・東日本大震災、そして、歴史の中の証言からえられた知見からは、貴重な知恵が見つかるはずだが、命を含めて、全て自己責任とするのであれば、護るべきものを守って犠牲になるのも、自己責任である。国家、地方行政の、震災に備える努力の殆どが無駄な努力になる・・・何が云いたいのか・・・今日文明で、文明に依って守れるものは、全て文明の力で護れ・・・と云う事である。身一つで逃げることが出来れば・・・財産を守るために諸書類の心配などしないで良いsystem・・・今回の東日本大震災でも、まだまだ多くの命を失わないで済んだはずである。
資産関連、預貯金通帳・・・等々、個人背番号を早急に整備し、全ての情報を「IT化」して、その保全を保証する・・・かつての、革新政党の暴挙的反対がなければ、今回、東日本大震災でも、逃げ遅れなくて済んだ犠牲者がどれほど沢山いたのか・・・明らかにして欲しいものである・・・余談。