国旗というもの・・・・

1,956年・・・梅蘭芳が来日、これに抗議する「関西華僑自由愛好同盟」の街宣車(雇い入れた)の「晴天白日旗」が、取りさられた。・・・大阪地検は不起訴処分。
1958年・・・長崎市浜屋デパート4階で開催されていた、日中友好会開催・中国切手、切り絵展覧会で会場に飾られた「五星紅旗」が引きずり降ろされ毀損した・・・犯人は、右翼団体の28歳の製図工。送検され、科料500円が判決。しかし、対中貿易が中止され、契約交渉中の案件も断絶・・・復活は2年後の1960年12月だった。
「国旗」とは、国家対国家の親睦の証である。例え、建前的なものであっても、少なくとも、共存の可能性を示唆し、あるいは、その意志のあることを求めあうものであろう。時に、韓国、中国の若い世代のdemoで、日本国旗が度々蹂躙される・・・それに抗して、日本人が、日本国内で同じ行動を獲れば、少なくとも、それは逮捕の理由になる・・・理由は、日本が「法治国家」であるからである・・・真実に・・・。しかし、国家の統治の形が変わったり、政権が変われば「国旗」が変身する国家に於いては、国民の意識は、体制への順応を表現する為の道具に過ぎないのだと、私は思う。その意味ではロシアが多少は大人の国家かなとは思う・・・国旗の侮辱が無きにしもあらずだが・・・「錨と鎌の赤旗」を、「Soviet国旗」とするか、否かは議論の分かれる所ではあるだろうが・・・。
今回の「国旗事件」・・・馬鹿な奴等だな・・・との思いは、私にもあるし、周りの感想もそんなもの。中国を「発展途上の経済大国」として捉えている日本人には、如何ほどの感情の高揚もないのではないか・・・寧ろ、そんな国民性だから、かつては列強から、虫食いの様に侵略され、日本の時代錯誤な侵略に晒され、「孫文」の意思とは程遠い、現代の中国になってしまったのだと・・・「発展途上国」の定義も、「孫文三民主義」の中国の発展を望む、我々の希望でもあるからである。
北京の街頭のマイクに答える、良識的な表情の学生・青年の口が重いのも、大学教育まで受け、国際的な感覚も多少は知る青年にとっては、マイクに答える言葉に苦慮するからだろう。どこの国にも「馬鹿」は存在する。そんな「馬鹿」に振りまわされる「愚」を避けて、今回の日中外交当局の妥当な結論だったのであろう。あるいは、「田中真紀子」が、僅かにでも絡んでいるのは当然だと判断すべきだろう・・・悪いことではない。しかし、「国旗」が軽くなったことは否めない・・・良いことか、悪い風潮か・・・結論を急いではならないだろう。