愛国心の似会うわない国・・・中国、韓国・・・

日本もそうなのだが、アメリカの様に、人が住んでいて、そこに歴史があっても、「新大陸」と呼び、その島を、いや大陸かな・・・を、女王様に捧げる・・・、こんな悪徳なことを歴史の中に記して無神経に生きていける人間どもには、「愛国心」がなければならないだろう。アメリカが戦争映画を作り続け・・・私も好きなのだが・・・「愛国心」を、標榜しながら、平時にはあまり目だ立たせない・・・そんな国の「愛国心」なる単語は、響きが良い。
しかし、中国にしても、韓国にしても、殆ど国家としての形をなした歴史を有しなのではないか。つまり、各部族、あるいは複数の英雄に依る「立国」と「国取り」の歴史が、そのまま国家の歴史になっている。特に、韓国(朝鮮半島国家)は、常に、新しい政権の当初には、誇大妄想的な国家観が、現れる。高麗しかり、朝鮮しかり・・・百済に至っては、日本列島を含む、極東の全域を支配した妄想的な国家観が存在する。つまり、西安長安から東は、某大王の支配した所だ・・・結局、高句麗も、高麗も、中国本土の国家と対峙して、その勢力を失って行く。反面で、中国本土の政権と上手に付き合えば、その政権は長生きする。清国からの頸木を外したのが日本だということは、日の丸を破り、踏みにじる若者や、愚かな中高年、老人には無縁の歴史なのだろう。
高句麗も、部族支配から脱するために「平壌」に遷都したのだと思うが、結局、現中国の東北地方の広大な地域を失う・・・そして、「平壌」に移った高句麗は、遼東を争って、疲れて滅亡する。つまり、中国も韓国も、「国民不在の、貴族の政権のための国家だったのである。相手が軟弱に対応すれば、強腰外交を繰り広げ、相手の勢力が大きくなると、名分の外交を行う。「負け」のない外交だから、奴隷が国民になった時・・・奴隷・奴婢の歴史は残っていないのだから、宮廷・貴族・両班等の高級官吏の歴史で、国民の意識を「愛国心」で鼓舞する以外に、国家を統一する方法がない。

日本の愛国心は、「義務教育」と「徴兵」、そして「天皇」の三点セットで、誕生した。当時盛況だったプロシャが先生だから、こうなったのだろうが・・・西郷隆盛が、明治天皇をしっかりと支え、中岡慎太郎が、しっかりと教育した、その功績は大きい。それでも「愛国心」なければ、支え切れない新政府だった・・・そのDNAは、今も健在だろう。