大臣の自殺に思う・・・・

73歳・・・高齢者の「死に頃」の年齢だと、若い頃に聞いたことがある。父が、退職後に、若い頃からの念願だった肉体労働・・・近くの印刷会社の雑役として働きはじめて数年、其処で知り合った仲間が、次々に亡くなることが続いていた頃だった。
父の自殺など・・・考えたこともなかったから、つまりは、完全な二重人格者であり、青年時代から知る人は、「仏」と呼び、戦後の上手な生き方(当人の知恵、見かけの人格でもあったのだが・・・)を知る人は、「悪人」だと呼んだ。「73歳・死に頃説」を話してくれた友人は、父が、二つの人格・資質の間で、悩むかも知れないと心配したらしいが、父は、そんな「生」ではなかった。そして、98歳の生涯を全うした。口癖は・・・「人間万事塞翁が馬」と、人間は「運」の二つ。
金融大臣・・・20年来の交際のあった女性との関係が、週刊誌に掲載されることに悩んだ・・・と、言う事だが、昨今の週刊誌の記事を真剣に、あるいは真にうけて読む読者がいるのだろうか・・・週刊誌は「ガセネタ」と信じて疑わない私だから・・・こんなこと言うのだろうか。そもそも、他人のScandalで、喜ぶ人生の寂しさに同情する私だが、一つには、戦後の高度経済成長時代以降の、「男の卑しさ」、「劣化」にあるのだと、私は思う。たかが、「女のことで・・・」が、男同志でも通用しなくなった、草食化のトドのつまりが、現在なのだろう。Retire男性の寂しさも、ここに発するのだと・・・単身赴任から、retire、そして「癌」を患うまで、時に応じて女性のグループと楽しく過すことのできた人生に感謝するだけである。今朝も、「生きている価値はない人生でも、死ぬのは惜しい・・・僅かな可能性がないものでもないから・・・」と、そんな話を女房殿として、茶を啜った。余り嬉しそうな顔はしなかったが・・・。
昭和30年・・・配属された現場では、作業職の統括をする組長(processの長で、10人程)の半分位が、「お妾さん」を囲っていた。夜間に事故が発生すると、その両方に使いを走らせる・・・学卒の若い監督員が、それを忘れて、本妻から、けんもほろろに追い返される喜劇は常だった。
私も、定年(当時は50歳)まで勤めて、「お妾さん」を囲える様に頑張ろう・・・等と考えていた一人である。お妾に店を持たせて、そこに部下を集めて説教を垂れる・・・至福の人生計画は、10年ならずして崩壊した。作業長精度で、スタッフが現場から追い出されたからである。私の人生計画の、最初の躓きだった・・・。

高齢男性の自殺・・・高齢男性の生き甲斐を封じた結果であると、私は断じて憚らない。しかし、それが認識できない愚かさには味方しない。