愛国心・・・アラカルト

愛国心・・・9歳の夏が終戦・敗戦だから、相当のきつい「愛国精神」を叩きこまれたという、同輩は多い・・・本当にそうか?・・・9歳にもなれば、大人の欺瞞に可なりなところ気がついていても可笑しくはないのではないか・・・北朝鮮興南で成長したのだが、朝鮮チッソの城下町で、静かなたたずまいだった・・・と、私は、幼い心に感じていたことを、今に想起するが、身体が小さく、最も軍隊向きではなかった父も、「静かなところだったな・・・」と、語っていた。しかし、自身と朝鮮人との格差は、殆ど口にしなかったが、私が、近くの鉄鋼・大企業に、高卒・正社員として採用が決まった時・・・何時かは、指導的立場になるかも・・・と思ったのか、次の言葉をくれた・・・「(組織に中で)人を差別しなければならない場面は色々ある・・・しかし、決して“虐め”てはならない・・・!」と。そして、「僅かな“運・幸運”でも、少なからず他人の“不運”が齎しているものかも知れないのだから・・・」と、付け加えた。76歳の今も、私への父の箴言として大事にしている。学校(西湖津小学校)での「軍事教練」の記憶はない。また、上級生の、教連を受ける光景を目にしたことない。なかんずく、北柳亭里の社員社宅[182番戸・西]と向かいの[181番戸・東]には、在郷軍人の「池田少尉」の夫婦が住んでいて、朝鮮人社宅に押し込められた時も、暫くの間は同居していた。やさしい、若い夫婦で、兄弟三人は、可愛がってもらったものである。「愛国心」とは、私にとっては「戦後」のものである。
一学期の最終日・・・教室には20人程しかいなかったと記憶するが、父親、兄が戦死した子の机に立てられる「日の丸」は悲しかった。しかし、それが「愛国心」を鼓舞するものであった記憶はない。

韓国のsoccer選手が、「竹島」に関する垂れ幕をOlympicのsoccer pitchで掲げた。本田圭祐が、いたく感激したらしい・・・彼が前向きに捉えているのは救いだが・・・「愛国心は、与太者の逃げ場・・・」なる言葉も思い出して欲しい。政治的敵対の壁を越えて行われるのがOlympicである、私は、国家、国旗がなくならない限り、真に友好的Olympicにはならないと思っている。戦争が、一つの政治である様に、Olympicが政治の感情に踊らされる様では、愛国心は、athleteをして、「ヤクザ」化するものであろう。Patriot・・・、先住民を病で衰亡させ、銃弾で滅亡させたEuropeであっても、東洋では、本来、無縁のものでなければならない・・・私は思う。