*何処まで続く「ぬかるみぞ!」・・・虐め VS 自殺

こんなヒントは如何・・・・吉本隆明の「家族のゆくえ」からの紹介である。まず・・・少年・少女期とは、小学校へ上がる頃から中学生までの時期になるが、一番大事なことは、「遊ぶ」ことの拡大であろうと宣い・・・「遊びをせむとや生れけむ、戯ぶれせむとや生れけむ・・・」と、今、大河ドラマ平清盛)に何度も登場する「歌謡」を紹介している。
小学校の先生は・・・中学校でも、高校でも同様だろう・・・勉強なんか教えなくて、子供たちといっしょに阿損でいればいい・・・一番の教育は、休みの時間に一緒に遊んで、喧嘩の仕方を教えたり、キャッチボールのやり方を生徒に教えてやることだ・・・と、断じる。何故なら、先生や親にとっては、遊んでいる時間は生活の一部だけれども、子供にとっては、この時期、それが全部であり、絶対なのだから、そう思って、考えて、子供に接するべきだ・・・と。
子供・・・隆明の子供・・・が、小さい時、公園で遊んでやったことを子供に語ったことがある。その時にこんな文句を云われたと、彼は語る・・・・成人した子供の台詞;「公園に連れて行ってもらった記憶はあるが、遊んでもらった覚えはない・・・」と(隆明は吃驚した!)。父親の隆明は、子供を公園までは連れて行った・・・しかし、彼は、ベンチに座って本を読んでいた・・・のである。親と子の間にある無意識の齟齬だろう・・・隆明。
親も一緒に遊んでやる。先生も、一緒に遊ぶ・・・つまり、先生は、生徒に勉強を強要するくらいなら、すくなくとも一緒に「遊び」を強要する方が良い・・・吉本隆明の主張である。
そして、こうも宣う・・・先生が、うまい口調で教えていると、その場はいかにも判った様に見える、すごく良い授業の様に見えるかもしれない。でも、それは「嘘」であると・・・教師は、全身で子供達にぶっつかって遊び、自分は、教師自身が好きな勉強をせよ・・・と、言っているのである。

自分の声で、自分の性格の通りに・・・自分の性格の通りに行くよと、子供達に構えていればよいのである。この時期に、「仮面」のかぶり方を教えられた生徒は、生涯を台無しにされた様なものである・・・と。そして最後に、演出した自分を見せようとして、子供の犯行に会うとノイローゼになってしまう。子供達から「良い先生」と思われようとしてはならない。教員室を「神聖」な場所にしてはいけない・・・と。