歴史の一点の恨みのもたらすもの・・・

購読紙(西日本新聞)の見開き2頁に、中国・内モンゴルの砂漠・・・「略奪地なので、中国とは云わない・・・」と、幾らなんでも中国人も云わないだろう・・・の「植樹」の記事が大きく紙面に踊っている。主人公は、中学生、高校生である。
紙面に依ると、20年程の昔、この地域の砂漠化の進行を憂慮した「遠山正瑛・博士」が、この砂漠への植林を思い立ったことが起点になっているのだと言う。今日の記事は、その協賛なのだろうか、西日本新聞・ハチドリ隊の活動を報じるものである。報道されているTeam(中学生、高校生)の、今年が四度目・・・計画の最後の年になるのだと言う・・・今後のことは報じられていない。しかし、見廻り・・・maintenanceを含むのだろう・・・は、継続されるらしいが、昨今の、中国の若者は、雲南省地震の、被災者救済のvolunteerまでを、暴力を以って襲うと言うから、その継続は難しいのかもしれない。もし、そうなれば、植林地は、元の砂漠に戻るだろう・・・・後年も、中国の若者が、今日の各都市にテロを働く、同種の若者だったら、「ここを砂漠化したのは、日本人だ!」と、騒ぐのかも知れない・・・と、少々寂しいことを想像した。
今年のハチドリ隊は「700本」を植樹したと報じられている。件の博士が、20年前に植樹したポプラは、大木になって、緑を滴らせているそうである。紙面に紹介されている写真には、たわわな緑が繁茂していた。20年ほど前、当時、共に、上海・宝山製鉄所の建設に励んでいたころ、骨休めに、山口県の青海島を訪れたことがある・・・・彼等は、その光景をうっとりと眺めていた。「美しいですね・・・中国には(自分の住んでいる所の意だろう)、こんな美しい緑も海もありません・・・」と。広い中国だから、この言葉で中国の「緑」を論じるのは控えるべきだろうが・・・一度「はげ山」になっても、緑が戻る、緑を戻すのが、私達の祖先が私達に残してくれた、山河であり、緑である。
司馬遼太郎に依れば、中国・韓国の「はげ山」は、鉄の生産が、その長い歴史(古代から)の中に齎したものである・・・中国大陸、朝鮮半島から、初期に、この列島に渡って来た人々は、この緑と、伐採しても、直ぐに復活する「緑」が魅力だったのだと、論じている。つまり、鉄の生産には、大量の「木炭」を必要とする。その木炭を得る為に、大量の「木」を伐採する・・・雨の多い(適度に)日本の山々は、直ぐに、次の木を芽生えさせ、成長させる・・・勿論、植樹は必要だが・・・しかし、砂漠化する地帯は、一度伐採すると、殆ど永久に「緑」が復活しないのだ・・・・と。レバノン杉が、古代に於いて殆ど絶滅し、砂漠化したのも、地中海における造船技術の向上と、戦争、貿易の発展に原因があるのだとも・・・。日本でも、奈良の大仏建立の時の伐採の時の痕跡が残る山が、広島だったか岡山だったかの一部に、今日でも確かめられと言う・・・僅かな、局部的な気候の違いが生みだすものらしい。
[留 用]
毛択東が、天安門の上で、高らに「中華人民共和国」の立国を宣言する・・・その上空を、数機の戦闘機が飛ぶ・・・この戦闘機は、戦後、中国に留め置かれた(留用)、日本の戦闘機乗りが、一度破壊した日本軍戦闘機を復元し、育てた、中国人操縦士(戦闘機乗り)の操縦になる「戦闘機」なのである。幾つかの地域で行われた、これらの式典でお目見えしたのだと言う。
「留用」・・・NHKのdocumentaryをDVDに治めているのだが、数が多くて、探し当てられない・・・記憶で書く。
ソ連軍の進駐前に「紅軍(共産党・軍)」が進駐して来た地域の日本人・・・技術を持った人々・・・には、協力が求められた・・・いわゆる「留用」である。映画製作者、医者、看護師、鉄道技術者、前述の軍関係者(軍事指導者)・・・彼等は、労を惜しむことなく紅軍の為に尽くしたのだと言う。勿論、文化大革命で失脚する要人たちも、留用の日本人達を大事にしたのだとも・・・特に、医者、看護婦は、内戦の全土に従軍し、色々な風土病から兵士を救い、紅軍の戦力維持に多大な貢献をしたのだと・・・後の感謝状が語るとか・・・。また、鉄道技術員達は、家族共々僻地に滞在し・・・現地の生活に馴染みながら・・・岩穴の住宅に住み、子供は、現地の小学校に学び・・・ロシア人の技術者が「さじ」を投げた工事を完遂させ、現在は、石油輸送の、重要な鉄道になっているのだと・・・。また、映画製作者は、主に、紅軍の、激戦の様子の撮影に、その命を晒したのだと・・・また、宣伝映画の製作も手掛けて感謝された・・・とも。
彼等は、内戦終結後に、日本への帰国が許されたが、彼等の周辺は、帰国した彼等に冷酷であったらしい・・・つまり、「赤のスパイ」と呼ばれて差別され、苦しい生活を強いられた。しかし、鉄道技師だった父の傍に、現地の小学校で学んだ女性が、後に、LT貿易の、日本側通訳として活躍する。その中国語の旨さに、同席の「周恩来」が舌を巻いたと言う。、そして、それが、留用で中国に留め置かれた家族の子供であったことを知り、彼女の前に、深々と感謝の意をあらわしたのだと・・・彼女は、documentaryの中で誇らしげだった。田中角栄の「日中国交回復」前夜の、episodeの一つである。
また、戦中も、日本の農業技術は中国に伝えられているのだが、戦後の、日本の米作りの技術の進歩は凄まじいものがあるのだと言う・・・戦前に、この技術があれば、なにも「満州」くんだりまで、出掛けていくことは無かったのだと・・・この話を教えてくれた方の弁だった。そして、日本で「コシヒカリ」が夙に有名になり、全国に、その米作りが始まったころだったと記憶するが、一人の篤農家が、その技術を中国農民に伝授するべく、渡中した。先日のnewsに、中国が、日本人好みの米の増産に力を入れる方針だと・・・newsに報じていた。我々が、中国産・コシヒカリを常食にする日も近いのではないか・・・。
「愛国教育」・・・江沢民の失政である。それに縋らないと政権が維持できない胡錦濤は、その最後のstageに、襤褸を出してしまった。そして、街頭でテロに走る若者達・・・反省する者も多少はいるだろうが、大半は、今後の政治の動向の中で、差別されるのだろう。

愛国心は、与太者の避難所である・・・」とは誰のphraseだったか・・・アメリカにいても、フランスにいても、はたまたロンドンにいても・・・「愛国心」とは、悲しい光景である。Internationalな生活を楽しむために、其処にいるのではないのか・・・愚かな若者ではある。世界に、己の馬鹿さ加減を吹聴している様なものだろう・・・哀れである。流石に、東京では恥ずかしいのか・・・多少は「恥」を知っているらしい・・・。