40年の昔とは・・・・<服部龍二著・日中国交正常化>から・・・

田中角栄大平正芳、そして官僚たち・・・この渦中にあっての悪戦苦闘と苦悩のdocumentaryである。
全般を通して「官僚」とは、国家の育てた、西部邁流に言えば、その伝統・歴史が育てる財産なのだということを、読んでいて痛切に感じる。つまりは、現代風に言えば、子供の頃から成人になってまで、漫画に溺れ、ゲームに時間を使い切り、“しょんべん”臭い女の子の太ももに熱狂する若者、中年では、到底辿りつくことの不可能な世界に存在する資格を持った人財であり、国家と云うのは・・・どこの国でも同様だろうが(例え中国、韓国でも)、その志に支えられているのだと言うこと・・・を思う。違いは、その愚衆を政治に利用するか(中国、韓国)、。政治的に無視するか(日本)にある。
日中国交正常化の道程の中にも、戦後も、紅軍の要請に応えて、この地に留まり・・・留用・・・その革命戦に貢献した多くの日本人の働きを見のがすことは出来ない・・・現代の「愛国教育」という愚劣な教育を受けた世代の若者には無縁の歴史であろうが、私達は、誇りとすべきだろう。一般に引揚者に7,8年遅れて帰国した彼等に浴びせられた、内地・日本人には、「赤」「赤のスパイ」、加えて女性には侮蔑的な言葉が浴びせられたという事実があり、その留用の中にあって、中国人子弟と僻地の小学校で机を並べた女性が、LT貿易の通訳として活躍する姿に、周恩来が感謝の意を表した・・・NHKのdocumentaryのone sceneに私は涙したものである。このepisode・・・と云うのは軽すぎると思うが・・・が、日中国交回復を語る時に、何故語られないのか・・・私には不思議でならない。この著にもないのだが・・・況や、中国の「愛国教育」の中では、語られ得べくもないだろう。大国・中国に生を受け育っても、中国人の、ただただ太るだけの「傲慢心」の中では、育たないものなのであろう。中国は狭く、そして小さい・・・某・フランス人学者の言葉を思い出す。
先日、NHK・archiveに「岡崎嘉平太」が語られていた。国交回復35年を期して製作されたdocumentaryである。そして、岡崎嘉平太の執念が「LT貿易」に繋がり、「政」から引き離された「経」の関係の5年間が、その後の日中関係に貢献したのである。
そので語られていたのは、岡崎嘉平太の、その都度中学生を同行した100回の訪中・・・また、岡崎嘉平太財団に招かれる(毎年)中国からの留学生が、岡崎嘉平太の墓に詣でる姿が、narrationの中にあった。
そして、日中国交回復後のprocessが、詳しく語られる・・・一字一句に双方が拘るのは、その背後に存在する国民である。一人の日本人としての私の愚かさが、これほどまでに外交交渉を難しくしているのか・・と、反省するのだが・・・その中の一つに「尖閣列島」がある。そして、もう一つ・・・中国側には、ソ連への脅威論がある。その懐に「四人組」と云う爆弾を抱えての綱渡りが、周恩来の外交だった。ソ連と四人組・・・腹背に敵の刃を受けながら、もう末期の癌に犯された身体に鞭打つ周恩来の姿・・・恐らく、田中角栄大平正芳も、心中に案じながら、懸命の外交交渉を行ったのだろう・・・私は、男のロマンを禁じ得ない。それと比較して、「愛国無罪」と、若者を扇動して、」自らの交渉能力の不備を補おうとする胡錦濤の姿の、なんと卑しいことか・・・、或いは、自らも恥じているのかも知れないが・・・・。日本は、北方四島問題に縛りで、ロシアとの連携playの不可能な弱みに付け込まれているのである。
その「ソ連脅威論」を隠そうとしない周恩来の本音に角栄は云う・・・「日本の工業力、科学技術の水準から、核兵器の製造は可能である。だが、今はやらせない、また、一切、保有もしない」と応じる。続けて・・・「ところで、尖閣列島についてどう思うか?・・・私の所にいろいろ言ってくる人がいる・・・・」と、問い掛ける。外務官僚には予定外のことだったこの発言に、会場には緊張が走ったが、周恩来は、角栄をやんわりと制止して・・・「尖閣諸島問題については、今回は話したくない・・・一秒でも早く、議定書にサインしたいとの意味・・・今、これを話すのはよくない・・・石油が出るから、これが問題になった。石油が出なければ台湾も米国も問題にしない・・・」と告げ、話題を台湾問題に転じた・・・と。著書は語る。
そして、この角栄の発言について著者は、日本国内を押さえるため・・・当時は、台湾lobbyistの力が強力だった・・・中国の言質を取りたかったのだと・・・田中は、国内(日本)政治の文脈で考えていたのだろうと、論じる。
周恩来角栄発言を受け流したのは、尖閣諸島を議論すれば収支がつかなくなり、対ソ戦略に齟齬を来たすとの理解があって、日中共同声明の調印を急いだのだと・・・と、著者の理解である。そして、著者は、「日中間に領土問題はない・・・」と、断ずる。勿論、毛択東も同意であると言う意味を含むものであろう。ならば、demoが掲げた「毛択東」の肖像は“何”だったのだろう。

次期、安部政権が、この故事を持ちだすことが可能であるか、否か。何れにしても、野田政権では無理であろう・・・この発言が、公式記録として残っていることは、殆ど期待出来ないのだろうから・・・。しかし、政治家同志の信頼の問題として無視は出来ないのではないか・・・。