「愛」の残虐性・・・・奪うものとしての「愛」とは・・・

忠君・愛国・親孝行・・・私の嫌いな「3phrase」である。今は、親孝行は論じないが、毛択東の、彼の言う、「革命精神の喪失感」から生れた「文化大革命」も、その表皮を剥げば、「愛国心」が、見えていたものだったろう・・・周恩来を語るdocument(①、②)を視聴しながら、思ったものである。しかし、少し時間をさかのぼれば、それは、「大躍進政策」の失敗を糊塗するものでしかなかったことは、他の表現もあるであろうが・・・歴史に残る映像が証明してくれる。

映像に、土木工事の「人海戦術」は、まだ機械化の遅れた中国ではいたし方なかったのであろうが、手作りの溶鉱炉・・・工業高校のcupola程のものでしかない・・・其処で、鉄鉱石から「鉄」を作るのだから、旨く行く筈がない。鉄の溶解・精錬とは、1、000℃を越える炉の中の「化学反応」の事であることを無視して、ゴム銃の鉛の弾を作るが如き方法で可能であるはずがない。こんなものを具申してきた技術者とは、どんな顔をしていたのか・・・「革命」という言葉の甘さを思うし、残虐性を痛感する・・・恐らく、鉄鋼生産の失敗の前に、多くの命が、事故ともいえない事故で失われたことだろうと・・・私は想像する。
江沢民が、訒小平路線で緩んだ・・・彼には「反革命」と見えた・・・世相を危惧して、国民の精神的緊張を求めたものであったろうが、訒小平路線がpopulismなら、江沢民の「愛国」路線もまたpopulismである。つまり、政府・政権の引いた路線の上しか歩けない国民・・・特に若年層・・・に、政府・政権の維持に、そのenergyをもとめるなら、その方策はpopulismしかない。資本主義の中に「利」の弊害だけを見て、国民をして「一色」の染めて行う統治の容易性・・・つまりは“手抜き”・・・が、大躍進政策であり、文化大革命であり、訒小平の一代で、政治を脱皮させることが出来なかったものの本質であろう・・・中国は、未だ、陣痛の苦しみの中に在る・・・その苦しみを、周辺の恫喝政治で、国民に納得させたいると見るべきだろう。

1972年の田中角栄は、populismの権化みたいな政治家だから、ソ連の脅威を感じながら、中に四人組を抱えながら、その難局を乗り切ろうとする周恩来の心中を察しながら、「尖閣諸島」の問題を切りだしたが、周恩来は、「時期ではない・・・」と、拒絶した。後日、訒小平も同様に、Agree for(toが正しいか!) disagree のmannerに徹したのである。周恩来は、「石油問題」が出てから騒ぎだしたとしたが、私は、江沢民の「愛国教育」以後の空気であると思う。
つまり、「愛」とは奪う事の意であり、「愛国」とは、政治的には、他国の領土を奪い、その成果として国民の心を奪い、それを栄養にして政権が安穏を貪ろうとすることであると考える・・・南満州鉄道満州傀儡帝国も、その姿・・・「愛国」・・・である。サミュエル・ジョンソンが、「愛国心は悪党の最後の拠りどころ・・・」と云うのも、政治力の欠如であり、政治的思考の欠損でしかないことを言っているのであろう。故に、文化大革命に、赤い小冊子を掲げれば、何でも可能だと考える、若い国民が多数誕生したのであり、その時の教育の不足を補うのが、江沢民の「愛国教育」だったと、現在を分析している。
30日の購読紙のcolumnに、「自己を主張しないと、国民の不満が高じ、社会が安定しない・・・つまり、不安定になる・・・・」現象であると、元・駐日大使の識者が論じている。私世代の日本人は、親世代の、同じ様な時代を知る世代である。日本の教育の中にも、時に「愛国」が強く影を落とすことがなきにしもあらず・・・今回の、石原慎太郎の言動の様に・・・しかし、幸いに、報道の自由が維持され、mediaへの政治権力の介入は厳しく禁じられている。「不満」の多い私でも、こうして、政府の、政権の介入を怖れることなく、自由にこのブログが書ける・・・アメリカの初代大統領は、一部のイギリス人には評判が悪いと言う・・・何故なら、イギリス人が苦労して作り上げた植民地を奪ったからだと言う。ならば、フランス、スペインから、その植民地を奪ったイギリスはどうなのか・・・歴史とは、現代を主張する根拠に使われるものではない。
日清戦争・・・清朝の朝鮮支配を終わらせる、新生・日本の「アジアの曙」を画したものではあった。この戦争・・・日本が無条件に清朝に仕掛けたものではない・・・「朝鮮は我が領土・・・」の主張に近い、宋主国(韓国は属国・朝貢国)としての面子が、戦端を開かしめたものである。また、日本をして恐怖せしめたのは、明治の開国期にあった、李鴻章の巨大軍艦による、威嚇的横浜港寄港だったのである。清朝は、自ら掘った墓穴に入ったのであり、当時の中国人が、まだ「阿片」の酔い心地から醒めきったいなかったのが、その惨めな結果を招いただけ・・・巨大・強力ど自惚れる国家感が云わせる破廉恥なセリフでしかない・・・と、私は聞く。

恐らく、周恩来訒小平も、日本が、中国から得た、今日的文明を、これからは「返して貰う・・・」そんな気持ちで、その関係の堅固なる樹立を願っていたのではないか・・・当分は、共産主義でも、何時の日にか、政治的自由を国民に持たせる・・・その時に壊れない国家・中国・・・日中国交回復とは、そのfirst stepとして,その生涯を捧げたのだと、私は思う。そして、尖閣列島も、その時に論ずれば良い・・・と。
カントの「隣国論」は、競合、敵対だが、東洋的感情からは、長期に与えあう関係として捉えるものなのではないか・・・私は、そう思う。