馬脚が露わに・・・日本維新の会

この様な「政党」の出現は初めてだから、可なりの騒動があるのはやむを得ないし、当然であるとも言える・・・しかし、既成勢力に反抗して、この世界に頭を出すのなら、それなりの準備をしておくべきであり、少なくとも、新たに加わるmemberが、その存在の意味を理解して参画出来る様な態勢・systemは明らかにしておくべきだったのではないか・・・外野席からの視点である。まぁ・・・それも、「初体験」だから・・・と言えば、そうなのだが・・・
その一つが、既存のstereotypeの政治家像から抜け出せない既成政党の政治家・・・既成政党を勇ましく脱党し、維新の会に参加・・・と言えば格好良いが、屋台骨の緩んだ、いや、崩壊寸前の借家から、家賃も滞納のままに逃げ出した政治家・・・それを鳴り物入りで迎えたmannerがそもそも甘い・・・主君を変えた、新しい家来に信頼を置く様な「王」は、まず、寝首を掻かれるのが落ちである。既成政党から移籍した7人・・・新しい主君の寝首を掻く程の勇気はないだろうが、相当に邪魔な存在になりそう・・・そんな気配は見え始めた。つまり、彼等の、「国会の事は、我々(国会議員)に任せとけ・・・」と云う言動の事である。
そもそも維新の会が、発足する理念は・・・その「国会のこと・・・」が、問題なのだが、その反省は欠片もないようだ。「国会議員」に任せられる国会なら、橋下徹が、大家族を抱えて、これ程の大騒ぎをする必要はないのである。「事」を起こす時、全てが見えているものではない・・・否、殆ど見えていない・・・「もの」のことではない・・・systemのことである・・・新しい事を企てれば、そこには、新しいsystem、あるいは構想が必要になる。その新しいsystem・構想を、そのmember全員が等しく理解できることは、まず望めない・・・試行錯誤の中で、その試行錯誤から惹起する、更に新しいsystemの理解が求められるのである・・・しかも未経験の事柄についての理解が求められるのである。
次の選挙で、一人でも多くの議員を誕生させたいであろう・・・橋下徹。しかし、既存の7人の落ち武者の様な議員では無い筈である。先日の談話からは、一人の議員も誕生しないのではないか・・・と、私は思う所がある。つまり、日本の政界が、mediaが騒ぐ以上に、以外に盤石である・・・と、云う事である。「維新」が、西部邁が云う如く・・・「温故知新」に徹した「未来構想」を、せめてその胸中に潜ませていれば、苦しい道のりを歩くことも可能だろうが、更地を歩くが如くに、魑魅魍魎の「山並み・谷筋・時に断崖」を歩く心算なら、それは、破産しかない・・・と、私は思う。

恐らく、大阪の人々には、理解できる、橋下徹のperformanceであろうし、彼をsupportする堺屋太一等の著名人の心情でもあるだろう・・・しかし、全国区で理解されるか、否か。せめて、挑戦者としての姿勢を見せて欲しい・・・破戒者の姿勢ではなく・・・そして、落ち武者の意識改革は、もし求めるなら、毛択東も、無残に失敗した「文化大革命」に匹敵するenergyを必要とするものだとの認識も持って欲しい・・・少々、mediaの前でのmannerが軽すぎる。列島の住民は、大阪市民ではない・・・改めて認識して欲しい。夢がない分けではないのだから・・・。