To be or not to be----泥舟・野田丸・・・

また「脱党者」・・・newsも詳しくは伝えなくなった。解散を先延ばしすれば、脱党者が後を絶たない・・・さりとて、通過させれば「解散」は避けられない。Dilemmaの様で、dilemmaではない。大道を行く心算なら、「解散」が正論である。何故なら、manifest・・・作らなければとの悔悟が残る代物だが・・・あれだけ、宣伝したのだから、枝葉の部分の達成だけを喧伝して、幹の部分の不都合を隠すこともできるものではないだろう。
そのそも、自民党の「増税」を批判しておきながら、菅内閣で「増税」を言い出した時、絶好の解散の時期だったはずである。つまり、議会制民主主義の「あるべき姿」を、率先して国民に知らしめ、堂々と政策を論じる・・・最高の舞台だったはずである。私達世代は、社会党等・左派勢力の「夢幻政策」に、惑わされながら、一抹の不安と、僅かに気付いて欺瞞性に騙されまいと、政治を見つめて来た世代である。全面講和か・・・単独講和か・・・全面講和に拘っていたら・・・と、思ったら「ぞー!」とするばかり、吉田茂が、時の東大総長に「曲学阿世」なる暴言(当時は、そう批難された)を吐いたことも、懐かしい記憶である。当時は、東大総長は「神」の様な存在だったが、その空虚さを暴露したのが、70年代の学生運動だったと、私は思っている。我国の政界の左派勢力が、なぜこんなにまでUtopiaならぬUtopia集団なのか・・・民主党政権の、初代首相が「鳩山由紀夫」だったのは、その絶望を国民に知らしめる「神」の配慮だったのか・・・小沢に、見事に裏切られながら、まだその後追いを諦めない心情は涙ぐましい。もう、そろそろ「墓碑」が建ってもいい頃だとは思う。
今、解散・総選挙になれば、「菅直人」は当然の様に立候補するだろう・・・況や、鳩山由紀夫も・・・。そして、差人三様の・・・原口が加われば、四者・四様の民主党が、街頭に騒音をまき散らすのだろう。今回、代表選でも、同じクルマに相乗りして、それぞれ異なる政策・批判を繰り返し「愚行」・・・集まった、これも愚衆なのだが・・・愚衆から、正論とも聞こえる野次が飛ぶ、怒号が吹く・・・「恥を知れ!」とも、云いたくなったとは、親・民主党の友人の弁だった。木造船なら、修繕の方法もある。水で、継ぎ目が膨張すれば、何とか航行することも可能・・・しかし、泥船では、修復の方法はない・・・寧ろ、船底から、泥が溶け出し・・・沈没に至るだろう。早く、陸に上げて・・・解散して・・・泥船なら泥船に相応しい手当が必要だろう。それとも、一度は沈没させた、新造船を考えているのか・・・その時は、せめて、ベニア板の舟にするべきだろう・・・。

To be or not to be・・・「not to be」であるべき民主党が、「To be」であろうとする限り、未来はない・・・と、私は思うのだが・・・。