鳩山一郎・・・のこと

NHK・drama・・・「負けて、勝つ」。昨今の日中、日韓の外交交渉の裏側が見えて来るようで面白かった。つまり、敗戦・焼け跡の「処理・・・つまりは「戦後復興」を任された政治家の思考、あるいは政治的な行動のことである。Sentimentalな思考などはもっての外・・・片山内閣、芦田内閣が、何故短命だったのか・・・劇中で語られる台詞がそのままだたとは思わないが、「平和日本」の姿を、日本人の「命」、国家の形、国際舞台への復帰、復興の手順と方法、民生の安定・・・勿論、浮浪児の救済的な処置・・・等々、一本の筋を通すのが、「宰相」と云う地位なのだな・・・と、「友愛」なるsentimentalismで、普天間の処理を誤った「鳩山由紀夫」に重ねて見てしまう。
ドイツの戦後処理は、同じEurope人のsenseで可能だったろう・・・四分割統治なども、気心が知れているという「甘え」があって、結局、communistの敗北を早めたのだと、言えなくもない・・・と、戦後日本の分割統治を全く前提としないアメリカの見識だったのだと思う。明治の開国(性格には、幕末の開国)だが・・・アメリカは、相当に深く日本を研究して、捕鯨の中継基地としての日本列島、そして、乗り遅れた「植民地争奪」の新しい(アメリカらしい)方法を探る「日本開国」でもあったのだと、私は思うが。本質的には、その文明・文化の高さが、その植民地化を防いだと云う事ができる・・・と、思う。その意味では、「負ける筈がない・・・」との確信が吉田茂に、また白洲次郎にあったのだろう・・・それを、国民に向けて云わなかったこと、己の信念を軽々しく政治のslogan、propagandaにしなかったのが、「友愛」なる軽々しい心情の鳩山一族とは、違うものだったのだろう。
昨今の、「力が付いて来たから・・・そろそろ復讐を考えよう・・・」と云う卑しい魂胆とは、如何にも違いが大きき過ぎる。何よりも、それでは、国民を内向きに閉じ込めてしまうことになり、常に内政の不満、欠点探し、他国への、あるいは他人への羨望だけが、醸成され、国内の、良識的安定には寄与しないのではないか・・・もっとも、それが、中国・数千年の歴史・王朝交代の歴史であり、朝鮮半島・歴代の王朝の中国への服従朝貢)であり、植民地争奪の「草刈り場」たる所以でもあっただろう。
大正・昭和・・・日本は優秀な三人の外交官を生んだ・・・内田興毅、幣原喜重郎、そして吉田茂である。互いに肝胆相照らす仲だったと、研究者の弁だと、私は感じているが、内田興毅は、軍部の煽てに乗せられて、その短い生涯を終えた。この点に関して言えば、吉田茂の中に、欧州列強への怨念がなかったとは言えないだろう。「負けて、勝つ!」・・・その口癖も、親友・内田興毅の仇討意識が生んだものであり、鳩山一郎の「友愛」とは、対極にあり、終戦まじかに変節(?)して、僅かに追放処理で命を繋いだ、その卑怯さを吉田茂も憎んだのだろう。鳩山一郎の「友愛」とは、己が命をながらえさせる、軽薄なphraseに過ぎない。そして、講和条約成った後に、引退を勧める白洲次郎の言葉も耳に入らなかった・・・鳩山の、戦中に代わらぬ「成長の乏しさ」に、その政治性の危弱を見ていたのだろうと、私は思う。その後、吉田と白洲が、決別したのか、否か。それを語る「著書」に出会わないので知る由もないのだが・・・しかし、北方四島に、何の為すすべもなく、ソ連との国交を回復した、鳩山一郎の罪は軽くはないだろう。恐らく吉田は、朝鮮戦争に果たした日本の役割を担保に、アメリカと共に、対ソ連外交を進める為に、政権に執着したのだろう・・・私の、dramaを観終わったあとの感想である。
そして、息子の鳩山由紀夫、邦男の兄弟の、この“体たらく”・・・親子して、日本の政治に「落胆」しか残さなかったことを思うだけ・・・・もし、吉田の誤算は?・・・と、言えば、「昭和の小村寿太郎」足らんとしたが、案に相違して、英雄にされてしまった・・・それも、講和後の吉田の誤算になった。

しかし、小村寿太郎の帰国を「石つぶて」で迎えた日本国民と、吉田茂を絶賛した日本国民・・・何れも、「無知」の誹りを免れることはない。そして、3年前の政権交代も、同じ「轍」を踏んだのである。政治とは、魑魅魍魎ではある。だから、興奮すれば、枯れ尾花が幽霊に見え、「糞」も黄金に見える・・・我々は、政治家に、どの様に見えているのだろうか・・・時に、考えるのも、強ち無駄ではないだろう・・・と、私は、私の事として思う。