文明の進化・・・ノーベル賞・受賞に思うこと

ノーベル・医学・生理学賞に、京大・山中伸弥教授が決定・・・またひとつ、文明の進化を、我々庶民が知ることになった。ips細胞・・・何度聞いても理解の届かない単語ではあるが、宇宙物理学とは違って、我々庶民の身近に感じるのは、その成果が、「病」に直結しているからだろう。教授の、受賞commentにも、臨床での実用化に一日でも早く漕ぎつけいたい旨あったが、難病に悩む、あるいは、人生を閉ざされている方々には朗報であろう・・・特に、10代、20代の方々には、大きな希望になった・・・と、私は思う。76歳の私ですら、「俺の脳卒中に間に合うか・・・」等と、身勝手なことを思うくらいだから・・・。
生物の遺伝子、細胞に関わる研究成果には、色々な誹謗に近い評価を下す評論家が少なくない。特に「遺伝子操作」には、「原発反対」にも似た反応がある。殆ど、理由のない、感情的な「反対」であり、それを叫ぶ事が、あたかも「正義」であるが如く・・・私には、「反文明」、「文明への反逆」にしか思えないのだが・・・その文明のお陰を蒙って、必要以上に長生きしている高齢者の姿には、悲しみすら覚える。
以前にも書いたが、「車輪」は、文明の発端である・・・と、私は一先ず考える・・・歩く事すら、あるいは、肉体で運搬する以外の方法を知らない人々にとって、「車輪」の出現は、青天霹靂の事であったろう・・・そして、争いに使われる以前に、沢山の悲劇を生んでいたのではないか・・・と、私は想像する。しかし、この文明を使いこなして、今日の文明がある。こうして、人類は、この地球上に、あるいは、宇宙に、存在しているのであり、新しい文明、文明の進化に止めを刺さない努力をしているのである。ノーベル賞もまた、一つの文明であり、その運用に当っては、それに相応しい国が選ばれる・・・これも文明であろう。
ips細胞・・・必ずや、批判・反対が喧伝され、己を貧しくして生きながら、病魔と闘う弱者への視点を塞いで、己らの主張を叫ぶ群衆・大衆が、その愚かさを隠すことなく跋扈することであろう。

私世代は・・・私自身は中学校の弁論部で・・・「核の平和利用」を、真剣に考え、論じたものである・・・勿論、青臭い論ではあるが・・・「核」を戦争の武器とすることと、平和に利用する・・・人類の生存に役立てること・・・その違いと、其処に立ちはだかるhurdleの高さには、大きな違いがある。それを理解するのが良識と云うものであろう。小さな失敗、大きな失敗の犠牲者もある、しかし、その失敗を糧に文明は新しく進歩するものであり、より安全に、より有効に働く文明に進歩するものである。現代に生きるとは、次の世代への貢献である・・・この精神を失ってはならない・・・と、私は確信する。その意味で、今回の受賞が嬉しい!