卵子に重なる、子供の笑顔・・・・

IPS細胞に至るprocessの中に、ES細胞の研究に欠かせない「卵子」を顕微鏡に覗く中山教授・・・今回、ノーベル賞・・・の目には、卵子に重なる子供の笑顔があったと、TVの中に紹介されていた。つまり、「俺は、一つの生命を犠牲にしている・・・」と云う「悔い」でもあったのだろうか・・・そして、卵子の不要な研究に没頭したのだと言う・・・詳細は、私如き頭脳では理解できるものではない。人間の「感性」のしからしめるものではあるだろう。今回のノーベル賞・受賞のnewsに湧くmediaが、「優しさ」に類する言葉を多発する・・・偉大な成果に勝る、教授の個人的感性、優しさが国民に理解されている・・・私も、研究の成功の先にある「偉大な成果」よりも、その研究に携わっている方の人間性、その方の感性が、ここまで評価されることに、、得てしてこの国では嫌われる「文明」への評価の変化に期待したいと思う。
閑話休題・・・一般的に、弱者救済に使われる「お金;生活保護給付等」は、パチンコ・競輪・パチンコ等の亨楽に消費されることが多いと、識者は論じる。時に、生活保護を断り、孤独死する犠牲者が報じられたり、あるいは、当局の審査が厳しかったり、見当違いだったりで、必要な給付が受けられず、再起ならずして、自殺、あるいは孤独死に至るnewsにも事欠かない。片や、privacyがあり、方や、詐欺的な給付申請があり・・・アメリカの共和党が、執拗に「国民皆保険」精度に反対する理由でもあるのだが、アメリカでは、宗教団体・・・教会等・・・が、その理想と実体のgapを埋めているのだと言う。日本でも、宗教活動については免税なのだが、その実体は見えて来ない。病院の待合室等では、子供手当の何分の一かが、高齢者、若い父親・・・時に母親の、パチンコ資金になっている様子の会話を耳にする時、この国の貧しさと卑しさを思う事しばしばである。

安売りを理由に「節税」をする企業・・・税金に依る生活救済を受けることを当然とする、自称・弱者・・・こんな国が、今回受賞のprojectを支援する財力を保持することが困難な事は見えている。無資源・科学立国を標榜する国家でありながら、大衆の心は亡国的・・・オスプレイ配備に、あれだけのcampaign・demoを行いながら、東日本震災に使われるべき「復興予算」を、自分の足下の道路整備に消費して、それを当然とする・・・沖縄県政にしてしかりかと、悲しいものがある。さわやかなノーベル賞受賞のnewsに見る爽やかさ・・・大事にしたいと、私は思う。