死体・続々・・・

怪奇な事件であるが、今朝のTBSの解説で多少は分かってきた。つまり、一人の「女」のmind controlに引っかかっていたらしい。何が目的か・・・僅かな他人の財産(持ち金)を狙った殺人らしいことが読みとれる。犯罪の全容が明らかになれば、「死刑」は確実だろうが、「死刑」でも、刑が軽すぎる・・・・じっと「禁固」にして、ゆっくりと「死」に追い込む様な刑罰はないのだろうか・・・非人非人的発想だが、朝から「嫌な」己が見えるのが悲しい。
Mind control・・・この被害から遁れるのも、案外に難しいことは、多少の経験から分からないではないが、周辺の人々が、注意、警告しても、その時点で、既に、その渦中に巻き込まれていることが多い・・・相手を疑わない、あるいは、自分の考えよりも、自分に近づく人間を損じる、常に、俗に言う「幸せ」探しをしている(努力なしで手に入るものとして)、等々の卑しさが、時に、この様に毒牙の犠牲になる・・・・もう人のpatternは、可愛そうな奴・・・だと、同情を買い・・・反面で騙される側の優越感を誘って、その毒牙に懸ける・・・昆虫を誘いこんで食べてしまう「美しい花」があるそうだが、それに似たもの・・・。
一般的に、騙された側の、犠牲になった側に同情する余地は余り残されていない。その意味では、「宗教」も、その接し方では、この類に入る。「極楽」を信じるのは構わないが、「お布施」を沢山すれば、必ず「幸せな後世」が待っていると思うのは、mind controlの犠牲者である。寧ろ、厳しい修行が必要だと・・・過剰な修行が仇になる人には同情の余地がある。「我々の人生は、「死」から融通してきた「借金」の様なものだ・・・と云う、ショウペンハウエル言葉を信じれば、その借金を投資した人生に如何なる価値を賦与するか・・・その努力の方が大事だと理解できるのではないか・・・当面、私は、その様に考えることにしている。
しかし、数人の人間の存在が如何に軽いものなのか・・・言わば、存在の意味がないから、白骨化するまで、床下に埋められていたのだろう。今回、何らかの情報で世に出たことは、mind controlの犠牲になっても、世への「警告」としての価値があって、露見したのだろう・・・神の“技”かも知れないとも、考えたくなる。しかし、反面で、白骨も、白骨化した時に、初めて、その存在が認められたのであって、生身の生きざまには、全く価値がなかった・・・と、云い過ぎの非難を覚悟で、私は思う。

隣り合うことは、それだけで「紛争」の関係に在る・・・カントの一節だが、だからこそ、日常の生存のliteracyが必要なのだし、そのlevel upが必要なのである。Mind control・・・己のliteracyで、そのbarrierとする以外に、その知恵はないのではないか・・・。白骨が何を語るか・・・耳を澄まして聞きたいものである。