艱難辛苦・・・汝を玉とす!

捨てる神あれば、拾う神あり・・・と、言うべきか! 中国からの観光客が激減している昨今、東南アジア・・・とりわけイスラム文化圏・・・からの訪問者が増えているとか。もちろん、現時点では比較になる数値ではない。しかし、新たな努力をする楽しみはあるだろう。
中国からの訪問者は、相手の「成り金」的な、あるいは、超円高の時に、海外の販売店の顰蹙を買った、低レベルの日本人の観光客を思わせるものである。まだ数は少ないが、厳しい宗教的disciplineを有するイスラム圏からの観光客は、それなりのmannerを備えてた、言ってみれば、長いお付き合いが、静かに出来そうな雰囲気である。
受ける側の日本の対応も、中国人を受け入れていた時の様な、喧騒を繁盛と勘違いする様なmannerには一定の反省を必要とするかもしれない。つまり、これまでの中国人相手の商売は、いわば、相手を見下したmannerであったと思うからである。今、中国政府が、中国人の訪日に制限を加えるのも、その様な、自国民(中国人民)のmannerが決して国益にならならない事への反省から生れているのだと思う。その意味では、中国人観光客の復活の折には、日本人の側も一定の配慮をしないと、大失敗をすることになるだろう。
私の体験した、日本各地に「痰」を吐き散らし、会議の席上、色々なものを投げて手渡した中国人との違いを、最近の訪中者から聞いて驚いているのだから・・・。彼等は、政治的には、日清、日中戦争の、半ば創作的記憶を強いられていて、まだまだ、globalなmannerには遠いものがあるのかも知れない。しかし、底流でゆっくりと変化を生じていると考えるべきだろう。直近のnewsにも、demoの若者は、田舎から出来た、殆ど無知な青年であると・・・半ば誇らしげである。「馬鹿馬鹿しい・・・」との判断もあるが、裏には、「きちんとした青年も沢山いる・・・」とのmessageでもある。世界を相手に日本が闘っていても、世界は「湯川秀樹」を忘れていなかった様に・・・我々にも、見落としてはならないものがある・・・「客観」を忘れない様にしたいものである。

イスラム圏からのお客さん・・・観光・日本の幅を広げるchanceを中国、韓国から作ってもらった様なものである。この大事な、かつ、貴重なchanceを、どれほど活かすことが出来るか、可能か・・・日本人が試されていることでもあるだろう。しっかり学んで欲しい!