富豪ランキング・・・・

その財産は兎も角、その数は、日本はアメリカに次いで「二位」だと、今朝の新聞・・・中国は随分下位だが、それども、基準を少し下げると、日本を追い越すのだそうだ・・・それを残念だとか、日本の国際的地位の下落だとか、加えて、その善し悪しを論じるつもりはない。
しかし、富豪が多いと言う事は、あるいは、その国の国民が全員「富豪」になるchanceは多いと言う事であろうし、その富豪が、それ程の身の危険も感じずに日々の生活を送っている・・・亡命や他国への批難もせずに・・・と云う事は、それなりに「良い国」だと、言うことだろう。我々も、努力の足りなかった生涯を反省するなら、それも良し、富豪に代わる豊かな人生であったと感じれば、それはそれで、豊かな人生、幸せな人生であったと自覚すべきだろう。「他人の懐」を詮索して、「羨望」という病の中に呻吟する愚かさだけには落ち込まない賢さを持つべきだろう。加えて、それを子供に愚痴ってはならないし、その懐を羨望して、果てしない欲望の巷に放浪することのないよう、遅ればせながら、己の「理性」に磨きを懸けたいものだと思う。
つまり、富豪のranking、富豪の存在に無関心であってはならない・・・と、私は思うのだが、「諦め」もまた、次の犯罪に繋がる恐れなしとしない・・・「誰でもいいから殺したい・・・」、こんな動機は、己れでも把握できない「大きな不満」の踊らされて生れる心理だろう・・・と、私は想像するのだが、その資源は、お俺の懐の貧弱さにあり、心の貧しさにあるのだろう。周りが全部敵に見えても、自分の親が「敵」に見える凶悪犯罪者は、newsで知る限り、殆どいない。己の父親、母親、あるいは祖父母の貧しさは理解できているのである・・・富豪になる資格さえ持たない存在として・・・富豪になるには、富豪になる資質が必要であり、それは自分で涵養するものであり、あるいは、使っても使い切れない財産の継承者でなかったことである事への諦めも必要なのである。
私は、そのrankingの小さな「囲み記事」に、日本は貧しくはないのだ・・・と、考える一人である。つまり、彼等の財産から、我々が、更なる財産になる資産を引き出す努力をする・・・それが、我々、我々の子孫・・・何代か後の・・・を、富豪rankingの仲間入りをさせるmotivationにならなければならないものだと思う。鴨長明の様な人生も、諦観も、これも人生である。しかし、己の貧しさを、他人を恨むことで晴らそうとするのは、「敗北」である。

人間は、果てしなきleague戦を、果てしなく闘う生きものなのだろう。一勝に奢れば、明日は没落する。一敗にめげれば、勝利は永遠に遠ざかる、否、勝機は消える。富豪rankingも、その時、その時代の「勝敗」でしかない・・・・数千年の後の「富豪ranking」を想像するのも、楽しみであるべきだろう・・・努力の源泉として・・・・。