橋下徹報道問題とは・・・

週刊誌が、今日程までに「おかしく・・・」なったのは何時頃からだったのか。「週刊朝日」、「週刊毎日」、「週刊新潮」等の数社の発刊に限られていたころは、昨今の様な「scandalous」な記事には、殆ど遭遇しなかったと、記憶する。寧ろ、高校生の頃には、父親の読み古したものを読ませて貰うのがせいぜいで、私の場合、父の兄弟達が回し読みした最期の読者だったから、記事のnews性は相当に古くなっていたはずである。それでも、社会の一端、部分を知る興味はあった。そして、社会人として通勤が始まれば、駅頭で買う週刊誌は、自らの僅かなelite意識を掻き立てるものがあったと、回顧する。
月刊誌が、政治家の諸所の行動が暴露されたのは、立花隆の「田中角栄論」を嚆矢とすると、私は記憶するが、内容が濃く、それだけに、連載の次回までに理解を深めることができなかった悔しさを後日に思ったものである。つまり、Scandal記事として読み飛ばしてはならない内容をふんだんに含むものだった・・・。
そして、週刊誌の全盛時代が訪れ、特に女性雑誌の喧騒には呆れるほどだったが、その環境のなかでも、「婦人公論」等の硬派の雑誌が、それほどの部数の減少がないことを聴いた時は、他人事ながら嬉しかった・・・今は、どうなのだろう・・・。
しかし、今回の橋下徹(決して、私はフアンではないが)の週刊朝日朝日新聞攻撃・・・私には溜飲が下がる思いである。ただ、何故、その張本人の「佐野真一」が顔を見せないのか・・・余りにも卑怯ではないのか・・・TVは、ほぼ、橋下徹の主張を「是」としているし、私の周りも、同様・・・つまり、言葉、文章の美しさに人々が目覚めを始めているのではないか・・・sensationalに、あるいは針小棒大に、過去を暴き、政治家の「失言、暴言」に敏感な週刊誌、新聞が余りにも無感覚・・・いや、悪意のある報道である。
上智大学・田島泰彦教授は、むしろ、橋下徹の論調が、「市民の知る権利」を封殺するのではないかとのcommentをしているが、私は「違う!」と云いたい。寧ろ、優勢主義的な、人間差別、出生主義、個人が何処まで、過去・祖先に責任を持たなければならないのか。あるいは、隠してはいけないのか・・・教授自身は、潔白で由緒正しい家柄に繋がる個人化もしれないが、私とて、戦後の父母の行動を探れば、全てが「是」である筈がない。私の「志」が小さい為に暴かれないだけである。
Scandalが、市民の「識る権利」なのか・・・。報道現場の浄化の必要性を叫ぶ集団の必要性を教授は説いているのか・・・。スキャンダルが正論を封じる・・・悪貨が良貨を駆逐するの類ではあるだろう。「正論」をスキャンダルから擁護する名目で「言論制限・弾圧」は始まる。教授の発言・・・魁より始めよ・・・の類なのか・・・