小沢無罪のnews・・・君の心にギロチンを・・・!

「そうだろうな・・・」と、特段に不思議には思わない。しかし、この国に「正義」・・・「正義とは何ぞや」の議論は残るが・・・が、せめて、大物政治家だけも理念として根付くことの難しさを思う。勿論、アメリカの大統領選挙の「選挙資金」に制限がない・・・というのも、お金にからむ政治家の活動に枠を嵌めることの難しさを、先人・・・英国・・・の経験から学んだ、アメリカ国民の叡智なのだろう・・・と、私は思う。
しかし、あれだけの・・・TVに知るだけだが・・・大規模な選挙運動の選挙費用の管理は、「出」も「入り」も含めて大変な労力だろうな・・・と、私の感想は驚嘆に近い。中には、くすねる奴が無きにしもあらずだろうし、野心家もいるだろう・・・全く不正なしとはしないだろうが、後者に「清潔」を求めれば、自らも清潔にならざるを得ないのだろう・・・とは、想像に難くない。また、多くの目にopenになっていれば、小さな不正を見逃すことが、候補者の大きな瑕疵になり、全体として、選挙を不毛なものにしかねない危惧も、一人一人の覚悟に繋がるのだろうと、私は思う。

親分の罪を子分が引き受けて、子分の「未来」が開ける、この国の風土とは正反対のものだろう。
そもそも、政治資金規正法の根幹をなす、管理台帳記載に疑義が持たれていて、秘書が有罪で、管理責任者が無罪ということの矛盾・・・法の不備なら、早急に「法改正」が、政治のagendaとして浮上すべきだろう。まだ、最高裁への上告の可能性は残すが、与野党上げて、その阻止を矩だてているのではないか・・・同じ様なことを考えている政治家も多いのだろうから・・・。
今日の朝刊には、私如き人間にも分かりやすい解説記事が、幾つかのっている。Scrapして、慎重に読んでみたいと思っているが、理解が深まるのか、疑義が深まるのか・・・恐らく後者だろう。今は、「検察審査会」の廃止への動きの方が大きいのだろう。
先日、週刊朝日が、橋下徹の誹謗記事で、世間を騒がしたが、簡単な謝罪に、橋下徹側も矛を収めた・・・結局、彼の側にも「矛」を収めざるを得ない「脛の傷」があるのだろう・・・あるいは、小沢に似た者かも知れない・・・そんな妄想を私は抱いた・・・・妄想で終って欲しいと思いながら・・・。
小沢裁判の難しさは、政治家を守る為の法律で、政治家を裁こうとしている茶番に原因があるのだと思うのだが、しかし、存在する法で、王室をギロチンに懸けたフランスの例もある。時代の雰囲気を変えようと思えば、それくらいの洗治療は必要なのだろうと思う。勿論、とばっちりは庶民にも及ぶ・・・それには、「お気の毒・・・」と云っておけば良い。

己の懐にギロチンを忍ばせる・・・国民に求められる理念ではあるだろう。