お詫び行脚の意味・・・

野田総理が、全国各地・・・と、云っても隅ずみまでと云うことではないらしいが・・・先日は福岡を訪れていたらしいことが、local newsの中に報じられていた・・・数秒程・・・商店街を訪れている様子と、その中での「ぶら下がり」が映像として流れていたが、福岡で、何を語り、何を詫びたのかは、地域の新聞・TVにも報じられない。「地域、ちいき、チイキ」と言い条・・・mediaもmass communicationも、地域は報道の対象外になっている・・・mediaも、政治を論じる前に、自らの姿勢をしっかりと確認し欲しいものだ。
もっとも、お詫びの内容は改めて説明して貰わなくても、私如き人間にも想像が付く・・・つまり、小泉・選挙に惨敗した後遺症の治療を、その後の郵政選挙自民党の乱れに、良識もなく離反した大衆の見識なき一票を狙った「manifest選挙」が、有名人の浅はかな応援を得て、成果を上げただけのことであり、当時のbrainが、その後に離反したことからも、その勝利の「正当性」が疑われなければならないかったのである。
現行の「お詫び行脚」の詳報が報じられないので、詳しいことを知る由もないが、語っても詮ないことを詫びているのであろうから、報道の価値もない・・・という判断があれば、それはmediaの傲慢と云うものであろう。「次に、どんな餌」を付けるのだろう・・・」とは、我々の最も知りたいことであり、民主党が、前回のmanifest選挙を如何様に反省しているかを知る縁にもなるのである。
「未来」を現実化して選挙を戦う・・・manifest選挙の最大の誤算だった・・・手法は兎も角、その結果で国民を騙すことはできないことだった。民主党にとっての最大の収穫は、ついこの間まで、「夢」の様な事ばかりを、左翼政党・国家の口先に乗り、mediaが、その国家に阿って流す報道に騙される国民を騙す結果の齎す、「実体」を現実のものとして知ったことでしかなかった。今、第三極を模索する、有象無象の政治家(らしき人物)が、同じ「轍」を踏もうとしている。
「温故知新」・・・物忘れの早い市民と政治家の違いは何か・・・私は、「温故」の性能だろうと考える。故に、国民に「怪しい“知新”」をひけらかして、結果的に失敗するのである。その失敗の原因になったもの、つまりhurdleが「温故」の中に存在することを、市民は後知恵で知り、政治家は、次の「嘘」を編みだす。
美味しい御菓子には、厳選された材料が、丁寧に処理され、使われる・・・そして、時に、食べる側には「作法」も要求される。もし、野田総理が、お詫び行脚に効果を期待するなら、政治の材料とは何か、政治の技術・手法とは、どんなものか、そして、国民・市民には如何なる作法が要求されるのか・・・それを丁寧に語るべきだろう。自民党は?・・・
自民党は、その長い歴史の中に、その地域の草の根としての「古老」の存在が在る。その存在が、語らずして、政治を、大衆・庶民・市民に語っているのである。各種のdemoが、その様な古老とは縁のない「衆」で行われる理由でもある。自民党も勿論、「温故知新」の理念を忘れてはならない・・・それを忘れて、新しい川の水を求める「痴呆的政治家」は、早急に排除すべきであろう・・・民主党の二の舞をしない様に・・・また、民主党は、「保守」の本流を、「温故知新」をKWに、肝に銘じて欲しいものである。