野田佳彦と云う役者・・・大見えを切って、幕を引く!

昨日のブログと矛盾したブログになるのかも知れないが、今朝のnewsの「野田佳彦」と云う役者の顔に、ある種の感銘を受けたことを、先ずは告白。
安部晋三も、山口那津男も、はたまた小沢一郎も、野田劇場の舞台に翻弄されっぱなし、「野田劇場」を、あの中継を観た観衆は、改めて「野田佳彦」の真骨頂に感銘を受けたのではないだろうか・・・勿論、これが、民主党の「票」になるか、否かは分からない。
しかし、日本にも、この様な、権謀術策、マキャベリズムな政治家が存在していたことに、「16日に解散します・・・」の一言に安心もし、言論的戦術の存在を確認させられた・・・これも、戦後日本の成長の証かもしれない。右翼的な発言で、国民の中に nationalismが眠っていると勘違いして、盛んに、大政翼賛会的な発言を繰り返す御仁にくらべれば、百年近くの時代差を感じさせられる。「16日」の一言に踊りあがった安部晋三は軽率だった。言わずもがなの発言を繰り返して、野田佳彦の投げた爆弾の威力を、自ら承認した・・・敗北を認めた・・・様子だけで目立っただけだった。
恐らく、野田総理は、「ちかいうちに・・・」発言の以降、このchanceを捕まえる工夫をしてきたのではないか。真珠湾奇襲にも似た今回の作戦、戦場の選択、そしてtiming・・・これ以上の舞台は作り得なかったであろう。野田佳彦の完全勝利であると、私は判断する。公明党山口那津男も、プライムニュースの中で、あの宣言に、相当に慌てさせられたことを告白していた。つまり、事前に準備した原稿が全くの「紙切れ化」したのである。それでも、あそこまで対応できたのは、流石だと、この人の「脳」の素晴らしさを思った。反して、小沢一郎は情けなかった・・・・質問の意味も全く分からなかったし、党を割った理由も忖度させるものではなかった・・・言語障害の一人の老人の姿しか、私には見えなかった。
人間・・・自らの「場」を・・・特に引き際を・・・、良くも悪くも、準備することは難しいことである。辞任の挨拶が、聞く人の感銘を、殆ど引き出さない・・・その場の雰囲気が、相応しいものとして具現化出来ない・・・「でがらし」の人間が喋ることに「味」がある分けがないだろう・・・とは、友人の捨て台詞ではあったが、昨日の野田佳彦野田総理は、一味も、二味も違っていた。一晩寝て、醒めた安部晋三・・・今頃に、悔しがっているのではないだろうか・・・あたかも、大将の首を落としたかの様な喜びようだったが、「首」は最初から祭壇に置かれていたのである。それに向かって、無用な言辞を浴びせ、相手が、予定通りの決断を伝えたに過ぎない・・・・安部晋三の、完全な敗北である。

安部晋三に、「大魚を逸した」悔いが残らなかったら、彼の引退も早いだろう・・・と、私は思う。自分の退く舞台を自ら準備し、舞台を整え、自ら創作した演出で、自らの最期を演じる・・・そう、私は、これで、政治家の舞台を降りる覚悟をしているのではないか・・・その表情に思ったことだった。「百済の最後の将軍・・・妻も子供もあの世に送り出して、百済の歴史の最期を華々しく飾った将軍・階伯(ケベク)にも似た風貌を私は感じた・・・

百済(民主)は、階伯(野田佳彦)と共に滅びる・・・しかし、韓半島の統一は、王建(ワンゴン)の登場を待って成る。古・民主党は滅びる。そして、古・自民党も消える。後の有象無象は語るに値しない・・・中国共産党も、江沢民が姿を消す(死去)が近い・・・東アジアの夜明けまでには、いま暫くの時間を要するだろう・・・そして、朝鮮半島は消える!