太陽の党と維新の会の野合・・・は?

「合流」が決まった様だが、「大同団結」の影で棄てるらしい「小異」・・・実は、「大同」の方は、労働組合が集団交渉の背後の圧力としてのdemoに人をかき集める行動であり、その理念は問わない。ただ、シュプレヒコールに迫力が生れれば、それで用は済むのである。しかい、「小異」の方は、案に相違して、お互いの「本音」の違いであり、夫々の「命」であるはずである。お互いに「理念であり、お互いに譲れない、自らが寄って立つ根拠なのだから・・・恐らく、双方の幹部は、多弁を弄しないで選挙を闘う・・・つまり、顔と経歴で・・・のだろうから、袖の下から襤褸が覗くことはあるまいが、三下候補はそうはいかない・・・喋れば喋る程に「襤褸」が見えて来るのだと、私は思う。かっちりと意見の、考えのすり合わせをしていても、思想の深みに存在する「違い」をcover阿することは殆ど不可能・・・それが人間なのであり、言わば、余りある「教養」が邪魔をするのである・・・「教養」がなければ、その心配はない。

この両者の合流・・・「野合」の定義にぴったり・・・橋下徹と右手で握手して、左手で、渡邊〜みんなの党〜と握手をすれば、その野合振りも最高潮・・・この国が、何処に誘導されるか分からない。平成の選挙民が、そんな選択をするのだろうか。

恐らく、第三極と云われる泡沫政党を押さえるには、若者あるいは、若者の良識を掘り起こす、覚醒させることが、最も有効な手段であると私は思う。余談になるが・・・その意味では、選挙権の登録制を制定することも考えて良いのではないか・・・登録時の支持政党が、左翼に流れることがあっても、現行左翼の有様では、一票は左翼には流れないだろうと、私は思うから・・・。
話を戻す・・・両者ともに、候補者難なのだろうと、私は推察する。特に、「維新の会」・・・政党本部からの候補者への支援は殆どないとみるべきだろう・・・橋下徹も、何処かの演説で言っていたのではなかったか・・・選挙費用は自分で調達せよ!・・・と。どこの馬の骨か分からないのが、何処の馬の骨か分からない党首を担いで選挙にでる・・・それが「野合」紛いのことをやっている・・・これで、支援・・・資金的に・・・者が存在するのか・・・私なら御免蒙る。

最近、brainの姿が、mediaに見えないのも気になる・・・心配しているのではない・・・維新の会の中で、既に分裂が生じているのではないか・・・と、思ってもいるし、期待もしているだけである。片や、太陽の党の本質は、楽隠居の道楽である。懐は豊か・・・しかし、巷の悪餓鬼の様な奴に、財布の紐を緩めることはないだろう。経歴と顔を、気づいて来た友情も健在なら、維新の会よりも、自民・民衆へのsympathyが強いのだと、私は思う。こんな党を信頼して手を繋ぐ・・・橋下徹は、既に認知症を患っていないか・・・心配もするのだが・・・・。もうしばらく観察しよう!